これも少子化の影響なのか、兄弟プロ野球選手が減ってきている今日このごろ。今季、そろって1軍で活躍しそうなのは、田中広輔(広島)と俊太(巨人)、上本博紀(阪神)と崇司(広島)ぐらいか。しかし、こんな兄弟選手たちが球界を沸かせていた。
■兄:松沼博久
西武(1979〜1990年)
297試合/112勝94敗/1セーブ
■弟:松沼雅之
西武(1979〜1988年)
241試合/69勝51敗/12セーブ
同じ1978年オフに、そろってドラフト外で同じチーム(西武)に入団するという珍しいパターンの松沼兄弟。
ただ、フォームは4歳上の兄・博久はサイドに近い右アンダーハンド、弟・雅之は右のオーバースローの本格派と異なるスタイルだった。
両投手のルーキーイヤーとなった1979年は、球団が西武ライオンズとして新たなスタートを切った年。本拠地も、福岡の平和台球場から埼玉の西武球場へ移転。バタバタした状況でもあって、最下位に沈んでしまう。
そんな中にあって、兄・博久は34試合に登板し16勝10敗と見事な成績で新人王を獲得。弟・雅之も先発、リリーフに39試合に登板、4勝5敗3セーブと奮闘した。その後も、博久が通算6回、雅之が通算5回の2ケタ勝利を記録。1982年から始まった西武の黄金時代の主力として活躍した。
■兄:リー(レロン・リー)
ロッテ(1977〜1987年)
1315試合/打率.320/283本塁打/912打点
■弟:レオン(レオン・リー)
ロッテほか(1978〜1987年)
1255試合/打率.308/268本塁打/884打点
兄弟そろって来日した助っ人は少なくないが、ここまでの成績を残したのは、このリー・ブラザーズをおいて他にあるまい。
兄のリーは、来日初年度(1977年)にいきなり本塁打王と打点王の二冠を獲得。1980年には首位打者にも輝いた。この年も含め、規定打席に到達した10年中9年で打率3割以上(規定打席未到達の1982年も打率.326)。2018年に青木宣親(ヤクルト)に抜かれるまで、生涯打率.320は歴代トップだった(4000打数以上)。2019年シーズン終了時でNPB生涯打率.326である青木の今季以降の成績次第では、リーがトップに返り咲く可能性もある。
弟のレオンも、兄に負けず打ちまくった。来日は兄より1年遅れだったが、初年度が打率.316、19本塁打、73打点の好成績。その後も、コンスタントに数字を残し、打撃部門のタイトルこそ無冠に終わったものの、生涯打率.308は歴代10位。上述のように、1980年は兄のリーが.358で首位打者となっているが、このときの2位はレオンで.340。兄弟でワンツーフィニッシュを決めている。
2003年にはオリックスの打撃コーチにも就任し、同年4月23日に石毛宏典監督が解任されると、後任として残りのシーズンの指揮を執ったこともある。
【野口家】
■野口明
東京セネタースほか(1936〜1955年)
投手成績:113試合/49勝40敗
打撃成績:1326試合/打率.251/61本塁打/572打点
■野口二郎
阪急ほか(1939〜1953年)
投手成績:517試合/237勝139敗
打撃成績:1098試合/打率.248/9本塁打/368打点
■野口昇
阪神軍(1941〜1943)
219試合/打率.181/2本塁打/39打点
■野口渉
近畿日本軍ほか(1944〜1946年)
26試合/打率.143/0本塁打/2打点
【金田家】
■金田正一
国鉄ほか(1950〜1969年)
944試合/400勝298敗
■金田高義
国鉄(1958〜1960年)
1軍出場なし
■金田星雄
国鉄(1960〜1961)
1軍出場なし
■金田留広
東映ほか(1969〜1981年)
434試合/128勝/109敗/2セーブ
子供が少なくなった現代の日本では、4人兄弟すら珍しくなったが、野口家、金田家は、4兄弟がプロ入りを果たし、球史に名を残している。
野口家では、長男の明、次男の二郎が今でいう「二刀流」で奮闘し、二郎は歴代11位タイとなる237勝を挙げた。
金田家は、正一の功績は説明不要だろうが、兄弟4人目のプロ野球選手となった留広も最多勝を2回獲得(1972年、1974年)するなど128勝をマークし活躍。ロッテ時代は、監督を務めた正一と5年間、同じユニフォームを着ている。
文=藤山剣(ふじやま・けん)