昨年、54年ぶりに夏の甲子園を制した作新学院(夏の優勝は2度目)。その中心にいたのがエースの今井達也である。
甲子園開幕前は藤平尚真(横浜)、寺島成輝(履正社)、高橋昂也(花咲徳栄)の高校生BIG3に注目が集まっていた。そんななか、初戦で151キロ、準々決勝で152キロを投げて自己記録を更新し、高校生BIG3を脇役へと追いやったのが今井だった。
作新学院は北海を下して優勝。優勝の立役者となった今井は、その後、U-18代表に選出され、ドラフトでは西武から単独1位指名を勝ち取るなど、スターへの階段を一足飛びで駆け上がった。
しかし、今井が聖地・甲子園にたどり着くまでの道のりは、曲がりくねった山あり谷ありのものだった。
「スピードは速いけれど、コントロールが悪い」
これが、2年生までの今井の評価である。
2年の夏に背番号11を背負い、その時点でストレートは140キロオーバー。しかし、コントロールを乱して、肝心なときにチームの期待に応えることができなかった。
今井自身も制球難の原因を自覚していたが、なかなか直すことができずにいた。それが冬場のトレーニングで下半身が鍛えられたことで、3年の春に変化が訪れる。
またチームに迷惑をかけてきたことで、「自分がやらないとダメなんだ」と自覚を持てたことも、成長に拍車をかけた。
先述した「3年春に訪れた変化」は、「キャッチャーが構えたところに、だいたい投げられるようになった」というもの。
ほかにも日々のトレーニングに加え、憧れの大谷翔平(日本ハム)のフォームも研究。自身のフォームとの違いを分析し続けた。
こうして手応えをつかんだ直後の春の栃木県大会だったが、チーム事情で一度もマウンドに上がることなく終了。勝負は夏へと移っていった。
3年生になり、覚醒したかに見えた今井だったが、夏の栃木大会の投球も冴えていたわけではなかった。どちらかと言えば、甲子園の切符は打線の力でつかみ取ったようなもの。
作新学院を率いる小針崇宏監督も、栃木大会後に、今井に厳しい言葉をぶつけた。その裏には、「甲子園は今井次第」という気持ちがあったからにほかならない。本来なら調整に当てるはずの甲子園までの期間をトレーニング期間にあてさせた。
また甲子園の初戦を前に、対戦する尽誠学園打線対策として、小針監督は「厳しいコースを突く」ことの重要さも説いた。すると今井の体に気持ちが乗って、目の覚めるような投球を披露し始める。試合を重ねるごとに、今井の名は全国へと広まっていった。
甲子園でスターの仲間入りを果たした今井は、当然のようにU-18代表入り。台湾で行われたBFA U-18アジア選手権では、甲子園で投げていなかったチェンジアップを投げるなど、さらなる進化をうかがわせた。
もちろん体格面でも、ドラフト直後の身長180センチ・体重70キロから、徐々に体重を増やして「プロの体」へシフトさせようとしている。体ができ上がったときには、一体どれだけのボールを投げるのだろう。
目指せ、憧れの大谷翔平――。
(※本稿は『野球太郎No.021』に掲載された「28選手の野球人生ドキュメント 野球太郎ストーリーズ」から、ライター・大利実氏が執筆した記事をリライト、転載したものです。『野球太郎No.021』の記事もぜひ、ご覧ください)
文=森田真悟(もりた・しんご)