あの痛々しい死球のあった日からを振り返ってみる。
5月24日、5回裏。左腕・吉川光夫(巨人)が投じた144キロのストレートがすっぽ抜け、鳥谷の顔面を直撃。その場に倒れ込んだ鳥谷に金本知憲監督やトレーナーらが駆け寄った。
鼻からの出血で、タオルは赤く染まり、ケガのひどさをものがたっていた。
「鼻骨骨折」。
誰もが鳥谷の登録抹消、戦線離脱を覚悟した。
しかし翌日、鳥谷はいつもと変わらず、球場入り。試合までの準備もいつものルーティンワークとしてこなし、金本監督にスタメン出場を直訴した。
さすがの金本監督もスタメンまでは認めなかったが、出場は抵抗なく受け入れたようだ。
金本監督も現役時代、岩瀬仁紀(中日)から左腕に死球を受け骨折したことがある。しかし、翌日の試合で先発フルイニング出場。久慈照嘉(現阪神守備走塁コーチ)から借りた軽量のバットを右手一本で振りぬき右前安打を放ったことは、今でも語り草になっている。
先述の死球を受けたとき、金本監督は連続試合フルイニング出場の記録更新の真最中だった。記録にこだわる姿に賛否両論があったことは確かだ。
片や鳥谷は、昨季、成績不振から連続試合フルイニング出場が667試合で途切れ、金本監督の持つ1492試合には遠く及ばずに終わった。しかし、連続出場はその後も継続。記録更新のための連続出場と受け取られ、金本監督が非難を浴びることもあった。
そして今季、連続試合出場は、金本監督の持つ1766試合を4月19日の中日戦で更新。衣笠祥雄(元広島)の2215試合に次ぐ歴代2位に躍り出た。
記録のために試合に出る。
鼻骨骨折後に鳥谷の胸の内にあったのは、果たしてそんな思いだったのだろうか?
鳥谷は「プロ野球選手である以上、グラウンドに出てプレーしてこそ価値がある。試合には首脳陣の判断に従って出続けたい」と常々口にしている。
鳥谷が激しい痛みに耐えてまで出場した意味は、記録更新が目的ではないことはここからも読み取れよう。
毎日一つひとつのことを着実にやり続けることは難しい。連続試合出場はその結果にしかすぎない。
5月25日試合後、鳥谷に代わって三塁で先発出場したキャンベルがヒーローインタビューに答えていた。
「鳥谷は今日も同じ形で球場入りし、同じことをきちっと続けている。すばらしい。チームリーダーとして、チームを引っ張っていってくれている」
ポジションを争うライバルのキャンベルが、鳥谷の野球に対する姿勢や日々の努力を称えているのだ。
まさに背中でチームを引っ張っている鳥谷。今季からキャプテンマークは福留孝介に預けたが、真のチームリーダーとして絶対に欠かせない存在になった。
文=まろ麻呂
企業コンサルタントに携わった経験を活かし、子供のころから愛してやまない野球を、鋭い視点と深い洞察力で見つめる。「野球をよりわかりやすく、より面白く観るには!」をモットーに、日々書き綴っている。