「世界の巨人」としてプロレス界を席巻したジャイアント馬場こと馬場正平がプロ野球選手だったことは非常に有名な話だ。その馬場もプロ野球選手時代に脳腫瘍という大病を患いながらも復活を遂げた過去がある。
巨人在籍時の1957年、視力が急激に低下したことに不安を感じた馬場が病院に行くと、「脳腫瘍」という診断結果を告げられた。
即座に開頭手術を受けることになった馬場だが、当時の医療技術では成功率が非常に低く、失明する可能性が高かった。馬場も死を覚悟したという。しかし、手術は奇跡的に成功。失明どころか1週間で退院し、手術の翌月には頭に包帯を巻いたままキャンプに参加するほどに回復していたのだ。
それから1960年にヒジの負傷で引退するまで、約2年間野球選手としてプレーした。
がんという大病も世界のマットを制した巨人の前には敵ではなかった。大病から復活したプロ野球選手の元祖は、後にプロレス界で天下を取るスーパースターであった。
脳腫瘍から復活した選手は他にもいる。一昨年、45歳の若さでこの世を去った盛田幸妃(元近鉄ほか)もまた不屈の闘志で病に勝ったひとりだ。
盛田は近鉄在籍時の1998年に脳腫瘍が発覚。医師からは「スポーツ脳という部分に腫瘍があるため、野球選手としての復帰は諦めたほうがいい」という厳しい診断を受けてしまう。
しかし、復活への強い意志と、懸命のリハビリで驚異的な回復を見せ、術後に残っていた右足のしびれを克服。翌1999年8月には2軍戦に登板。最終戦には1軍復帰を成し遂げたのだった。
2000年は2軍での登板に終始したが、2001年には本格的にカムバック。リリーフとして34試合に登板し、近鉄の優勝に貢献した。この年のハイライトは、中継ぎ部門でファン投票1位を獲得し、3度目のオールスターゲームへの出場を果たしたことだろう。大病を克服し、オールスターゲームという夢舞台で躍動した姿は多くの人々に感動と勇気を与えた。
ほかにも大病から復活した選手は多くいる。昨年、安達了一が(オリックス)、厚生労働省が特定難病性疾患に指定している潰瘍性大腸炎から復活したのは記憶に新しい。
また、大隣憲司(ソフトバンク)は2013年に黄色靭帯骨化症という難病にかかり手術を受けるも克服。2014年に1軍復帰を果たし、勝利を収めている。
これらの選手達以外にも多くの選手が病気やケガを不屈の闘志で克服し、グラウンドに戻ってきている。赤松も彼らのようにグランドに戻ってきてほしい。そして、あの華麗な守備と走塁を再び見たい。赤松は広島のリーグ連覇に欠かすことができない切り札なのだから。
ファンは皆赤松の復帰を信じている。そして、待っている。がんばれ赤松!
文=井上智博(いのうえ・ともひろ)