多くの野球ファンは、甲子園球場の名物メニューといえば「かちわり氷」、「甲子園カレー」を思い浮かべるのではないだろうか。最近では選手がプロデュースしたメニューも多々揃っており、ファンの胃袋を満たしているが、甲子園球場開場当初から変わらない名物が「甲子園カレー」だ。
甲子園球場の開場した1924年から提供されているこの名物商品。初期のメニューはコーヒー付きで30銭だったという。なお、もりそばは10銭となっており、3倍の値段がつけられていた。カレーは高級品だったのだ。
「甲子園カレー」は時代に合わせて値段、スパイスが変化しつつ、今は550円で販売されている。「糸井嘉男の超人オムそば弁当」、「金本兄貴のスタミナハラミ弁当」など人気メニューもいいが、甲子園球場での観戦時には「甲子園カレー」も食べてもらいたい。
ちなみに、遠方のファンのために阪神甲子園球場の公式オンラインショップではレトルトで販売もされている。気になるファンは「お取り寄せ」してみてはいかがだろうか。
1941年に戦局の悪化を受け、夏の甲子園が中止となった。しかし、この大会は第27回全国中等学校優勝野球大会として回数には含まれている。もちろん出場校も優勝校も存在しないが、1大会として来年で100回を迎える甲子園の歴史上には存在しているのだ。
一方、翌1942年に開催されたのが「幻の甲子園」。この大会の主催は朝日新聞社ではなく、文部省が開催権を譲り受けた形で開催された。そのために、夏の甲子園である「全国高等学校野球選手権」の歴史からは除かれている。
この「幻の甲子園」で優勝を果たしたのは徳島商だった。後に同校は1947年のセンバツで優勝。1958年夏の甲子園にはエースの板東英二を擁し準優勝と「四国四商」の名に恥じない成績を残しているが、実は「幻の甲子園」で夏の優勝を果たしていたのだ。
この優勝は正式な記録として認められていないために、大会正史、雑誌、インターネットサイトを辿っても、徳島商の「優勝」という戦績は記載されていない。
甲子園球場の外野にラッキーゾーンが設置されたのは戦後間もない1947年のことだった。設けられた経緯は単純明快。本塁打の増加を見込んでものものだった。2015年にソフトバンクの本拠地である、ヤフオクドームに設けられた際も理由は同じ。「ホームランは野球の華」というファンの思考は、およそ70年前と変わっていなかったということだろう。
甲子園球場のラッキーゾーンは1991年のシーズン終了後に撤去され、1992年からは現在の形状となっている。撤去後に初めて、プロ野球の公式戦で本塁打を放ったのが八木裕(阪神)だった。八木のシーズン第1号が「甲子園ラッキーゾーン撤去後第1号」となったのだ。
プロ野球ではないが「公式戦」という意味合いでは、ペナントレースの前にセンバツが行われている。この年のセンバツはラッキーゾーンの撤去により本塁打の減少が予想されていた。事実、その通りとなり、前年の18本塁打から7本塁打(1ランニング本塁打)と半分以下に激減。そのなかで3本塁打を放ったのが、星稜高の松井秀喜(元ヤンキースほか)だった。開幕戦となった宮古高戦で「高校野球におけるラッキーゾーン撤去後第1号本塁打」を放つと、続く打席でも本塁打。2打席連続本塁打で観客の度肝を抜いた。
ラッキーゾーンの撤廃により本塁打数は大幅に減ったものの、本物のスラッガーには関係なかった、といったところだろうか。
甲子園球場にはこのように様々なトリビアがある。プロ野球、高校野球以外のエピソードに注目するのも面白い。野球好きならではの知識を、周囲の野球仲間と語りあってみてはいかがだろうか。
文=勝田聡(かつた・さとし)