先日、連続試合安打記録が31試合、歴代3位タイで途切れてしまった秋山翔吾(西武)。32試合連続のパ・リーグ記録を持つ歴代2位の長池徳二(現在は「徳士」に改名/元阪急)、33試合連続の日本記録を保持する?橋慶彦(元広島ほか)にはわずかに届かなかった。かえすがえすも記録が途切れてしまったことが残念でならない。
秋山の記録を止めたのは継投でつないだ楽天投手陣(則本昂大、クルーズ、松井裕樹、青山浩二)。一方、連続安打記録上位2名、?橋と長池の記録を止めたのは同一人物、という説がある。その人物とは江本孟紀(長池が記録を達成した1971年は東映に所属し、?橋が記録を更新した1979年は阪神に所属していた)……と言われているが、実はこれ、大きな間違いなのだ。真相を明らかにしてみたい。
「?橋慶彦の33試合連続安打記録を止めたのも、?橋の前に連続試合安打の記録を持っていた長池徳士を抑えたのも江本孟紀」
実はこのことを唱えているのは、記録を止められた?橋慶彦本人だ。以前からインタビューなどでこの件をコメントし、先日も「村上信五とスポーツの神様たち」(フジテレビ系)という番組で同様の発言を残している。
実際、?橋の連続試合安打記録を止めたのは江本孟紀だ。1979年7月31日の第1打席、?橋は33試合連続安打のNPB新記録を達成する。ところが、その試合の守備中に右足首を負傷。翌日から5試合欠場することになってしまう。
そして、復帰戦となった8月8日の試合でマウンドにいたのが阪神の江本。復帰戦で目が慣れていないはず、という江本の作戦通り、?橋はストレートにタイミングが合わず、ここで記録が途切れてしまった。
だが、長池の記録を止めたのは江本ではない。つまり、?橋の記憶違いだったのだ。
1971年7月6日の西鉄戦、3打席連続本塁打という圧巻の打棒で32試合連続安打の当時新記録を達成した長池。4打席目は敬遠と、相手ベンチも手がつけられない状態だった。
ところが一転、翌7日の西鉄戦では3打数無安打。新記録を達成した安堵感による集中力の欠如も大きかっただろうが、相手投手が長池の苦手とする右サイドハンドの河原明だった点も災いした。
ちなみに、江本もスリークオーター気味とはいえ、右のサイドハンドといえなくもない。投球フォームの空似から?橋慶彦は勘違いしたのだろうか?
さて、本稿では江本孟紀と広島東洋カープの関係性についても記載しておきたい。?橋を止めた男・江本。何かと広島戦とは相性が良かった。通算100勝をマークしたのが広島戦(1978年9月18日@甲子園)。そして通算1000奪三振をマークしたのも、やはり広島戦(1980年6月8日@甲子園)だった。
この1000個目の三振が、実はとても不思議な縁でつながる記録なのだ。奪った相手が“カープの英雄”衣笠祥雄なのだが、衣笠にとってもこの三振が現役通算1000個目の三振だった。1000個目の奪三振と1000個目の三振が一緒に生まれる……こんな珍現象は今後再び生まれることはないだろう。
そんな江本孟紀は今日7月22日が68歳の誕生日だ。おめでとうございます。
(文=オグマナオト)