大家は京都成章から1993年秋のドラフト3位で横浜入り。1年目の4月に早くも1軍初勝利を挙げたものの、1998年までの5年間でそれが唯一の勝利となった。
その後、メジャー挑戦を球団に直訴し、了承を得て自由契約に。そこからレッドソックスのマイナー契約からメジャー昇格を果たした。さらにエクスポズ、ナショナルズ、ブリュワーズ、ブルージェイズ、インディアンズと渡り歩いてトータル202試合に登板。冒頭でも触れたように51勝(68敗)を挙げた。
その後は、横浜に復帰。2010年は7勝を挙げたが、2011年は未勝利に終わり自由契約に。ここで転機が訪れる。
この年の秋に肩の手術をした影響もあって、思うように投げられなかったが、そこで「試しに投げたらうまくいった」とナックルボールと出合う。本格的なナックルボーラーへの転身を決意したのだった。
横浜退団後、大家は居場所を求めて日米の独立リーグを回る。昨年はBCリーグの福島ホープスでプレー。磨き上げてきたナックルボールを武器に7勝4敗と結果を残した。
自信をつけた大家は、昨年秋にアメリカでテストを受け、オリオールズ関係者の目に留まる。マイナー契約ではあるが、アメリカで再挑戦する資格を得たのだ。
年末年始は地元の京都で自主トレを行い、2月に渡米し、マイナーのキャンプに参加。ブルペンだけでなく、2月末には打撃練習にも登板するなど、調子を上げている。
メジャーには、2012年のサイ・ヤング賞を獲得したR.A.ディッキー(ブレーブス)、2016年は13勝を挙げたスティーブン・ライト(レッドソックス)といったナックルボールを決め球にしている現役投手がいる。ライトは32歳だが、ディッキーは42歳で、日本風に言えば大家よりも学年がひとつ上だ。
ナックルボールの球速は、通常のストレートよりもかなり遅く、ディッキーでも120キロ程度。それでも無回転で不規則に変化するため、バッターは芯でとらえるのが難しい。大家は110キロ程度で、ここからさらに球速を上げられるかもポイントとなる。
2014年にも、大家はブルージェイズのスプリングキャンプに招待選手として参加したが、開幕を待たずに解雇されている。日米で多くの球団を渡り歩いたベテラン右腕が、ナックルボールというファイナルウェポンを身につけ、カムバックできるかどうか。
かの地での登録名「Tomo Ohka」がメジャーのスタジアムでコールされれば、これほどの快挙はない。
(※写真は2011年、横浜時代のもの)
文=藤山剣(ふじやま・けん)