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近藤健介(日本ハム)は元捕手? 名選手から見る捕手からコンバートされる2つのケース

近藤健介(日本ハム)は元捕手? 名選手から見る捕手からコンバートされる2つのケース

 史上初の4割打者誕生の可能性があった近藤健介(日本ハム)が、椎間板ヘルニアのため戦線離脱。6月28日に無事手術を終えたが、実戦復帰までに3カ月はかかる見込みで、規定打席到達は絶望的。夢の4割は来季以降に持ち越しとなった。

 近藤といえば登録は「捕手」。しかし今季、捕手としては1試合も出場しておらず、昨季も6月18日の1試合のみ。右翼か指名打者が通常営業となっており、実質、打撃力を生かすためのコンバートがなされたと考えていいだろう。

 近藤のように、捕手から他の守備位置にコンバートされるのは、大きく分けて2パターンがある。該当する名選手を振り返ってみよう。

守備の負担を減らして打撃に集中


 まず1つは、確固たる実績を残した捕手がベテランとなり、守備の負担を減らすためにほかのポジションにコンバートされたり、パ・リーグであれば指名打者での出場がメインになるパターンだ。

 最近では、阿部慎之助(巨人)がこれに当てはまる。引退した名選手では、この2人が代表例となるか。

■田淵幸一

 歴代11位の通算474本塁打を誇る田淵幸一。阪神時代の1973年、1974年には捕手としてダイヤモンドグラブ賞(現在のゴールデン・グラブ賞)を受賞したほどの選手だったが、1969年の入団当時から一塁手での出場もあり、その後は外野手も経験している。

 西武に移籍してからは、1年目の1979年こそ捕手や一塁手としても試合に出ていたが、1980年以降は指名打者での出場が中心となった。

■城島健司

 城島健司はゴールデン・グラブ賞を8回受賞している名捕手。メジャー移籍前のダイエー(ソフトバンク)時代は一塁手としても試合に出ていた。

 帰国し、阪神に入団した2010年は捕手としてフル出場。しかし、膝の故障もあり、現役最終年となった2012年は一塁手か代打での出場で、マスクをかぶることはなかった。

捕手に見切りをつけ、他ポジションでブレイク


 捕手からのコンバートのもう1つのパターンが、捕手としては伸び悩み、打撃や脚力を生かして試合に出るために配置転換されるパターンだ。

 ブレイクしてからのポジションのイメージが強いと、「え? キャッチャーをやってたの!?」となることも多い。代表的な選手をピックアップしてみる。

■衣笠祥雄

 衣笠祥雄は平安高時代には、捕手として甲子園ベスト8を2度経験。広島に入団し、1年目には捕手として18試合に出場している。その後は、チーム首脳陣の方針もあって内野手へ。レギュラー定着となった4年目も、おもに一塁手としての出場だった。その後は一塁手と三塁手との併用。ゴールデン・グラブ賞を3度受賞(1980年、1984年、1986年)しているが、いずれも三塁手部門で受賞したものだ。

■山崎武司

 名門・愛工大名電高で1年から4番・捕手を務めた山崎武司。中日に入団し、プロ入り3年目には捕手として8試合に出場している。しかし、39本塁打でタイトルを獲得した10年目、1996年のポジションは左翼。その後は一塁手に転向し、移籍したオリックス、楽天では指名打者での出場がメインとなった。

■和田一浩

 強肩強打の捕手として、神戸製鋼からドラフト4位で西武に入団した和田一浩。しかし、当時のチームには正捕手として伊東勤(現ロッテ監督)が君臨していたため、一塁手や外野手でも起用された。捕手として、入団から5年間で73試合に出場したものの、さらなる出場機会を求めて外野手で生きることを決意。そこから持ち前の打撃が開花し、パ・リーグを代表する外野手となった。2008年に中日に移籍してからも外野手として活躍し続けた。

 ほかに、飯田哲也(元ヤクルトほか)、関川浩一(元阪神ほか)らもこのパターンにあてはまる。また、江藤智(元巨人ほか)、小笠原道大(元巨人ほか)、銀次(楽天)らのように、プロ入り前は捕手として活躍しながらも、1軍の試合に出る前にコンバートされた例もある。


文=藤山剣(ふじやま・けん)

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