―2003年と2004年の出場数が88試合、2005年が102試合、2006年が116試合、2007年が86試合と、2003年から安定して出場試合数が増えています。バッティングで勝負を決める場面も多く見られるようになりました。
本間 それにはきっかけがあったんです。王(貞治)監督から言われたひと言がそのきっかけでした。
―そのひと言とは?
本間 試合で打てなかったある日、王監督に監督室に呼ばれたんです。すると「何で追い込まれたら、バットを短く持つんだ?」と聞かれて。「いや、追い込まれたので……」と答えたところ、「だったら最初から短く持ったらどうだ」と。それからバットを短く持つようになりました。そのおかげで打撃がいいシーズンもありました。
あと、バットを短く持つ中で「お前が使っているバットは短く持つのに適したバットじゃないから、俺のバットを使え」と言ってくれる先輩もいて。その方のバットを使ったら3安打。そんなこともあって、もうバットを長く持つことができなくなったんです。
―本間さんは、井口(資仁)さん(現ロッテ監督)、鳥越(裕介)さん(現ロッテヘッド兼内野守備走塁コーチ)、川崎(宗則)選手、本多(雄一)選手と常に、ずば抜けた力を持つ内野手に囲まれて、苦労を重ねながら生き抜いてきました。試合に臨む準備を大切にして(連載第1回参照)、王監督のアドバイスもあって、それが攻守に噛み合う時期がきたということでしょうか。
本間 うーん……。2000年くらいから気持ちの面で吹っ切れたんですよね。そこがターニングポイントでした。それまでは1軍と2軍を行ったり来たりで、ファームで4割くらい打っても、1軍に呼ばれない。それが本当に嫌になって。だったら、自分には実力がないんだからと開き直ってやるしかない。「打てなかったら、エラーをしたら……」とマイナスのことを考えてプレーしても駄目。つまり、「駄目だったらしょうがない」と吹っ切れたわけです。
―そのように吹っ切れたことがバッティングにもいい効果をもたらしたのでは? 守備の人だと見られていた本間さんに、代打での勝負強さが目立つようになりました。
本間 それはねえ……ある時期からは、生き残る術が代打にしかなかったから(笑)。でも、代打って本当にしんどいんですよ。「代打にいけ」ということは、毎回、チャンスで「打ってこい」っていうことですから。ただ、それが嫌なら、毎試合4、5打席に立てるレギュラーになれという話です。
―代打は10割バッターであることを求められる……
本間 しかも、相手は確たる抑えのピッチャーがほとんど。分が悪いけど、開き直っていくしかない。だから、相手ピッチャーの情報を得ることも必要ですが、まず気持ちだけは負けたら駄目。そうするうちに核になる自分の軸ができていきました。
―気持ちを強く保った上で、代打で打席に立つ時の決め事は?
本間 配球はある程度聞くだけにして、あとは「よし!」と勝負する。配球にとらわれすぎると、狙ったボールがこなかった時点で終わりですからね。その上で「振れる!」と思ったファーストストライクから絶対に振ると。ただ、本当にしんどかったです。過度なプレッシャーがかからないように心掛けていたんですけど、吐き気をもよおすことも多くて……。
―2時間以上ベンチに座っていて、ここぞの場面で「打ってこい」と起用されるわけですから……。極度の緊張の一方で「俺を出せ!」という気持ちは?
本間 それはそう思わないと。だって、1打席だけど「ここで打ったらヒーローになれる」という巡り合わせでやってきた場面じゃないですか。自分にとってプラスのことを探していかないと、きついだけですからね。
だから、そういう場面で使ってもらえる選手でいるために、調子を上げて、王監督にアピールして、試合で結果を出さなければと思って、常に練習していました。バッティングピッチャーに、試合のようにストレートと変化球をミックスで投げてくれと注文をしたり。
―本間さんの代打での名場面といえば、2008年の楽天との開幕カードの2戦目。延長11回、2死満塁カウント2-2からセンター前にサヨナラヒットを放って、試合を決めました。
本間 はい、はい(笑)。でも、あの時の巡り合わせは自分のせいです。開幕戦はスタメンだったのに打てなくて、2戦目はベンチスタートになったという話ですから。ただ、あそこで自分がベンチに残っていたのは、使い勝手がよかったからでしょうね。「あいつだったら、守備、代走、代打で使えるから最後まで残しておけば……」という考えがベンチにあったんだと思います。本当に運ですね。
―では、ご自身で思い出に残っている代打は?
本間 2007年の鷹の祭典。ロッテ戦です。マウンドにいたのは小林宏之。打席に向かう時、王監督から「ヒーローになってこいよ」と言われたんです。で、必死に食らいついていったら、サヨナラタイムリーを打てて。あの打席はすごく印象に残っています。
(※文中一部敬称略 第3回に続く)
協力:日本プロ野球OBクラブ