9月26日の西武ドーム。9回から登板した田中将大は1死二、三塁のピンチを招くも、ラスト8球は渾身の力を込めたストレート勝負。連続三振を奪った瞬間、マウンド上で両手を高く掲げて声にならない雄叫びをあげた。駆け寄る嶋基宏ら、あっという間にナインたちの輪ができて、後から加わった星野仙一監督を胴上げ。合計7回、宙に舞った指揮官のいつもの強面は、珍しく緩んでいた…。
球団創設9年目でのパ・リーグ制覇を決めた東北楽天ゴールデンイーグルス。2004年のオリックス、近鉄が合併した球界再編成を契機に、05年から誕生した新球団だ。田尾安志監督が就任した1年目は首位のソフトバンクから51.5ゲーム差、5位の日本ハムとも25差とブッチギリの最下位に沈む。
それもそのはず、当初の練習環境は劣悪で、当時は室内練習場もクラブハウスもなく「本当に野球ができるのか?」と選手たちは不安がつきまとっていたという。本拠地・東北の気候への不安、ファームは山形にあり利便性も悪く、雨が降ると練習場所を確保するのにもひと苦労だった。初年度の久米島キャンプにいたっては1軍と2軍全選手が同じ球場で練習し、プルペン入りまで2時間も待ったという。
そんな酷い練習環境も無理はなかった。当時の球界再編問題は、まさに青天の霹靂。実質、数カ月で創られた新球団は、9年の歳月をかけて地道に強くなっていったのだ。今回のこのコーナーでは、楽天初優勝までの軌跡を厳選した3つのキーワードに沿って、解説していきたい。
2005年3月27日、千葉マリンスタジアムのロッテvs楽天開幕第2戦。楽天は0-26とラグビーの試合と見間違えるくらいの“記録的惨敗”を喫してしまう。野球ファンなら、このスコアを覚えている人も多いだろう。
先発・藤?紘範は2回持たずにKOされ、続く有銘兼久は1死もとれず5失点。小倉恒、福盛和男、徳元敏らも空気を読まないロッテ打線の餌食となり、最後はマイエットからパスクチが本塁打を放つなど、やりたい放題。打線のほうはロッテ先発・渡辺俊介から1安打しか打てず、4年ぶりの完封勝利をプレゼントしてしまった。新球団の宿命ともいえる限られた戦力をチーム内の競争力で補おうとするも、やはり限界があったと認めざるを得ない球団創設1年目だった。
「1年目はとにかく勝てなかった。みんな、こんなに負けるんかと思ったと思うよ」とは当時、近鉄とオリックスの分配ドラフトで楽天にやってきた山?武司のコメント。この分配ドラフトは、オリックスが25人→楽天が20人、オリックスが20人→楽天が20人→残りがオリックスへ、という工程で行われたので、主に“すぐ使える”選手がオリックスに、“残った”選手が楽天に分配された感は否めなかった。38勝97敗1分けという「100敗するかしないか」で注目された田尾監督はこの年で解任され、翌年からは野村克也監督が就任することになる。
0(ゼロ)どころかマイナスのハンデを背負ってスタートした楽天。しかし、それを少しずつ、地道に変えていったのがその山?だった。山?を中心としたベテラン選手たちが球団に掛け合い、設備面も含めてホテルの食事メニューなど細かいところについても話し合い、フロント側と協力して徐々に改善していったという。
もちろん選手としてもチームを引っ張り、2007年に山?は本塁打と打点の二冠を獲得するなど、楽天創成期を引っ張った人物として山?武司は重要なキーワードだ。
また、山?は2007年はルーキーだった嶋にも厳しく接したといい、叱咤激励を繰り返したという。こうしてチームの秩序、統制や規律が作られていった。そして山?がいたから、創設間もない楽天は他球団からナメられなかったと思う。
山?が退団した後も、そのハートはブルペンをまとめている小山伸一郎らに継承され、怒られっぱなしだった嶋は楽天の中心選手として育った。今でも仙台の繁華街には山?のサインがたくさんあるという話も聞いたことがあるが、それだけファンにも愛された選手だったといえるだろう。
最後に触れたいのが、投手では田中将大、釜田佳直や片山博視、辛島航、野手では銀次や枡田慎太郎らの“楽天ブランド”ともいえる、“自前”で育てた高卒選手たちが優勝に貢献したことだ。
▲辛島航
圧倒的に戦力が薄かった新球団は当時、他球団からのトレードや、新外国人獲得によって戦力補強せざるを得なかった。ドラフト戦略についても大学生・社会人出身の即戦力ルーキーを獲得することで、なんとか他チームとの差を埋めなければならなかった。田中将大は別格だが、楽天には高校生からドラフトで獲得して文字通り“イチから”育て上げた選手がいなかったのが現状で、その時間もなかったように思う。
しかしながら今年、銀次や枡田らの高卒組が優勝に大きく貢献した。特に銀次は守備に難がありながらも、昨年あたりから積極的に試合経験を積ませることで打撃面での才能が開花。今では押しも押されぬ中軸打者に成長した。
▲銀次
今シーズンはイマイチ調子があがらない片山にしても、星野監督は積極的に使い続けた。シーズン終盤の苦しい時期には釜田が投手陣を救ったことも記憶に新しい。やはり、多少の難があっても経験を積ませることが後々のブレイクに繋がり、その積み重ねでチームは強くなるということを教えてくれた“楽天ブランド”選手たちの活躍だった。
選手にとって不満だらけの環境を改善するにも、その声を上げるまとめ役のベテラン、耳を傾けるフロントが必要で、戦力を整えるには、金にモノをいわせて他チームから戦力を補強するのではなく、自前の選手をジックリと育てなくてはならない。こうして振り返ると、やはりプロ野球の世界で優勝するということがどんなに大変で難しいことか、改めて感じる。
2011年3月、本拠地を襲った未曾有の大震災というアクシデントを乗り越え、長い時間をかけて作り上げてきたチームの最後のピースとして残った「打線の軸」にジョーンズとマギーというバリバリのメジャーリーガーを獲得。そして、2位に大差をつけてパ・リーグ初優勝を成し遂げた。
TVゲームのように攻略本の通りにプレイすれば優勝できる、あるいは金にモノをいわせて他チームから「いい選手」を乱獲して優勝を目指す、そんな方法では上手くいかないからこそ、優勝には価値があるのだ。
時間をかけて“正攻法”で優勝した楽天は、間違いなくパ・リーグのチャンピオンだ。外野の声など気にせず、胸を張ってCSに臨んで欲しい。
■ライター・プロフィール
鈴木雷人(すずき・らいと)…会社勤めの傍ら、大好きな野球を中心とした雑食系物書きとして活動中。”ファン目線を大切に”をモットーに、プロアマ問わず野球を追いかけている。Twitterは@suzukiwrite。