今年、プロ野球で物議を醸し続けるコリジョン・ルール。そんな本塁上の衝突が生んだ中断として有名なのが大正末期、1926年に起きた「宇都宮事件」だ。
宇都宮中(現・宇都宮高)と前橋中(現・前橋高)が全国大会の出場をかけて決勝で対戦。試合は前橋中が5対1とリードし、4点を追いかける宇都宮中の7回攻撃中に事件は起こった。
2点を返し、3対5と2点差に詰め寄った宇都宮中は、なおも1死満塁と逆転のチャンス。ところが、次の打者は三塁ゴロ。三塁手はホームゲッツーを狙った。
この場面、フォースアウトでいいはずが、なぜか前橋中の捕手はタッチをしようと本塁上でランナーと交錯してしまう。判定はアウト。だが、宇都宮中は「捕手が落球している」と猛抗議。球審がこの抗議をはねつけると、今度は興奮した観客が柵を破ってグラウンドに乱入してしまう。
身の危険を感じた審判団は30分間の試合中断を宣言。騒ぎがおさまるまでグラウンドの外に避難した。そして30分後……。戻ったところを狙われ、観客に襲われてしまう。もう、車で会場を脱出するほかなかった。選手たちもグラウンド外に逃げ、騒ぎは結局、警察官が出動してやっと収まったのだ。
宇都宮中のメンバーはこの乱闘騒ぎには関与せず、騒いでいたのは観客のみ。ただ、騒動の発端は審判の判定に従わなかったことが原因、と宇都宮中が謝罪。試合の棄権を申し出て、前橋中の優勝が決定した。
警官に守られながら、夕方の汽車で帰ることになった前橋中ナイン。ただ、騒動のために球場での優勝旗授与式が行えなかったため、前橋に帰る途中の小山駅で優勝旗が渡されたという。
決勝戦といえども、大差がついてしまう場合もあるのが高校野球。そんなワンサイドゲームが生んだ、球審からの意外な「待った」を紹介したい。
その試合は1933年、福島師範対平商の間で行われた東北大会決勝戦。序盤から福島師範の猛打が爆発し、4回表の時点で16対0と圧倒的なリードを奪っていた。そして迎えた4回裏、平商の攻撃に入るところで、球審を務めた河合君次がなぜかタイムを宣告。そして、福島師範の国井監督を呼び出した。
「君らはいったい何をやっているのか!」
叱責気味の河合球審に困惑する国井監督。河合球審はさらにこう続けた。
「こんな一方的な試合が試合か? これじゃ、ちっとも面白くない。観客もそう思っているし、俺だって面白くないんだ。勝つことはもう決まったも同然だ。だから、投手には変化球を投げさせないで、ど真ん中だけを投げさせろ。少しは平商に打たせて、君たちは守備の練習でもしなさい」(『ニッポン野球珍事件珍記録大全』より)
今の時代であればとんでもない暴言ともいえるが、河合君次は早大のスラッガーとして鳴らした人物。その威光に押されてか、福島師範の監督はバッテリーにストレート勝負の指示。するとあっという間に無視満塁のピンチを迎えてしまう。
さすがに「これはいかん」と思った福島師範はここからカーブも解禁。以降、3人の打者を打ち取ったが、内野ゴロの間に1点を失ってしまう。
最終的にはこの試合、福島師範が20安打、11四球、12盗塁の攻め放題で、29対1の圧勝。平商は結局、あの4回裏の1点しか奪えなかった。
春夏連続での甲子園出場を目指した甲府工と、前年優勝校の東海大甲府。優勝候補同士の戦いとなった2004年の山梨大会決勝。事件は6回裏、1対2と1点を追いかける東海大甲府の攻撃中に起きた。
1死走者なしで、6番の田中選手が死球で出塁。治療のため東海大甲府ベンチは「臨時代走」を送った。臨時代走は、ケガの治療のために一時的に他の選手(該当打者からもっとも遠い打順の選手)を代走として送ることができる、高校野球ならではのルールだ。この場面では、6番打者が死球を受けたため、5番の町田選手が臨時代走として登場した。
続く7番打者の犠打でランナーは二塁へ。すると東海大甲府は臨時代走・町田選手に代えて、俊足の宮地選手を代走に送った。つまりは、「臨時代走への代走」だ。結局、この作戦は実らず、東海大甲府は無得点に終わる。
この場合、本来のルールでは、元々のランナーである6番・田中選手が退かなければならない。だが、7回表の守りについたのは、治療を終えた田中選手、「臨時代走への代走」として出場した宮地選手。「臨時代走」の5番・町田選手が退く形となった。
これに甲府工が15分に渡る猛抗議。審判団は、東海大甲府から「この交代で大丈夫か?」と確認された上で認めていたため引くに引けず、抗議は受け付けなかった。だが、今ひとつ自信がなかったのか、高野連に確認の問い合わせを入れた。
試合は1対2のまま、8回裏、東海大甲府の攻撃。打席には、先ほど死球を受けた6番・田中選手。この場面で高野連本部から連絡が入り、「6回裏と7回表の選手交代は審判団が間違っていた」ことが判明する。
試合は中断され、審判団と両校部長がバックネット裏の本部席に集合。対応を協議するための中断時間は40分にも及んだ。
協議の結果、本来退いているはずの田中選手を出場させるわけにはいかないと、次の7番打者から試合再開。この回の東海大甲府は無得点に終わったが、9回裏に同点に追いつくと、延長11回裏にサヨナラ勝利。打順変更や選手交代によって勝負のアヤが変わった可能性もあるだけに、甲府工としては納得のいかない敗戦となってしまった。
勝った東海大甲府は甲子園で快進撃をみせ、なんとベスト4に進出。一方、敗れた甲府工も悔しさをバネに秋の大会で好成績を残し、翌春のセンバツに出場を果たしている。
何かが起こる、地方大会決勝戦。本稿で取り上げた中断事件は稀な例としても、信じられない試合展開での逆転劇などは、毎年のように起こるのもまた事実だ。甲子園の切符を目指し、今年はどんな伝説が生まれるのだろうか。
文=オグマナオト