充実の投手陣に割り込む即戦力としてオリックスが高評価するドラ1左腕。小倉全由監督(日大三高)の愛情に育まれ、神様と呼ぶ善波達也(明治大)にピッチングの極意を教わったと、素直な男は感謝を忘れない。
転機は早くも訪れた。
大学1年生の4月。明治大のブルペンで練習をしていると、善波達也監督がスッと寄ってきて、アドバイスを送った。
「突っ立ったままでいいから、ホーム方向に移動してみな」
山崎は軸足で立ってから体重移動する時に、ヒザが一塁側に折れてしまうクセがあった。これによって、ホーム方向への体重移動がうまくいかない。下半身の力がロスするうえに、コントロールが乱れる原因にもなっていた。
「正直、高校時代はフォームのことがわからずに投げていたんです。ピッチングってどうすればいいのかなという感じ。はじめに善波監督に教えてもらって、ガラッと変わりました」
フォーム改善とともに、筋力と柔軟性の強化にも取り組み、1年秋にはストレートが145キロにまでアップ。そして、2年春からは先発としてマウンドを任されるようになり、3年時にはエースに。春秋だけで計11勝、2季連続の最多勝、ベストナインを獲得し、最高のシーズンを送った。
この時も、善波監督からの指摘がいい結果につながっていた。春先に行われたアメリカキャンプで、「右手(グラブ)をもっと前に大きく使ってみなさい」とアドバイスを受けたのだ。
「今までは、体の近くでグラブを使っている感覚でした。もっと前で使うようになって、すべてがよくなりました」
ストレートの最速は149キロにアップ。タテ割れのカーブも習得し、ピッチングに幅が生まれた。
「3年になって、ピッチャーとしてのレベルがひとつ上がったと実感しています。そこで、将来的にもピッチャーで勝負すると決めました」
ただ、ピッチャーが難しいのはずっと好調が続くわけではないというところだ。4年時、山崎は不調に陥った。春は3勝を挙げたが、スピード、キレ、コントロールともに本調子ではなく、悩み抜いた。
「フォームが固まりませんでした。自分のピッチングができないので、投げていても楽しくない。バッターが遠くに見えていて、あんな感覚は初めて」
そのなかでもピッチャーの原点を見つめ直す1球があった。最終週の立教大戦、序盤のピンチで佐藤拓也に対して、開き直ってインコースのストレートで勝負。この1球からリズムがよくなり、9回1失点の好投につながった。「やっぱり攻めていかなければいけないと実感しました」と振り返る。
秋のリーグ戦前には、またも善波監督の金言があった。上体が突っ込んでいた山崎に、「投げ終わったあとでも、軸足をプレートから離さないように投げてみなさい」と指導。本人曰く、球のスピード、質、すべてが向上したという。
「監督さんは、神様みたいな存在」と山崎。すべてのアドバイスがいい方向に進んでいるからだ。
4年秋、負ければ優勝が苦しくなる10月18日の慶應義塾大戦で先発すると、3回に3点を失うが、以降は9回まで無失点に抑え、サヨナラ勝ちを呼び込んだ。同点で迎えた9回表2アウト二塁のピンチでは、スライダーで代打の沓掛祥和をサードゴロに仕留め、大きなガッツポーズ。マウンドに上がると、勝負師の顔になる。
善波監督も、小倉監督と似たようなことを口にしていた。
「優しい顔をしていますけど、マウンドに上がると強い気持ちで挑むことができる選手です」
この試合で光っていたのが、タテ割れの大きなカーブだ。球速は110キロ台前半。実は4年春までは、ストレートとカーブで投げ方に違いがあり、相手チームに狙われることがあった。今は完璧までとはいかないが、同じ腕の振りに近づいており、本当の意味での「緩急」が生まれている。
憧れのピッチャーは、メジャーリーグで活躍するクレイトン・カーショウ。190センチ102キロのメジャー屈指の左腕。今年は自身2度目の21勝を挙げた。150キロを超すストレートがあるわけではないが、タテ割れのカーブとスライダーを武器に、屈強なバッターを手玉にとっている。
「高校時代までは、ただでかい左ピッチャーが投げているだけ。それが、大学に入って、フォームのことを考えるようになって、技術的にも上がってきたので、自信を持ってプロで勝負をしたいです」
今、大好きな野球を目いっぱいやれていることが、山崎にとっては奇跡に近い。何よりも幸せなことでもある。武器である緩急を生かして、1年目からの先発ローテーション入りを狙う。
(※本稿は2014年11月発売『野球太郎No.013 2014ドラフト総決算&2015大展望号』に掲載された「30選手の野球人生ドキュメント 野球太郎ストーリーズ」から、ライター・大利実氏が執筆した記事をリライト、転載したものです。)