先日開催された「NPB AWORDS 2015」で、涌井秀章(ロッテ)が6年ぶり3度目の最多勝タイトルを受賞した。
涌井が、今季積み上げた勝ち星は15勝。実に5年ぶりとなる2ケタ勝利で、大谷翔平(日本ハム)と共に最多勝に輝き、一時期の低迷ぶりが嘘のようなカムバックを遂げた。
29歳ながら酸いも甘いも経験している涌井の栄光と挫折、そこからの復活を振り返ってみよう。
10年前、2005年に西武でプロ野球選手としてのキャリアをスタートさせた涌井は、2年目に早くも2ケタ勝利を達成。3年目に初の最多勝に輝くと、5年目には2度目の最多勝、そして沢村賞も獲得し、名実ともに日本有数の先発投手に成長した。
しかし2009年をピークに、成績は下降線をたどる。2010年こそ14勝を挙げたが、2011年は9勝止まり。そして2012年、開幕投手を任されながら3連敗を喫したことで2軍落ち。再び1軍に昇格したときに与えられた役割は、先発ではなくクローザーだった。
この時期の涌井はヒジ痛に悩まされており、その影響か先発して初回は抑えるものの、2イニング目に崩れるというパターンがリプレイのように繰り返された。しかし1イニングなら抑えられることから、クローザー転向は理にかなったものだったと言える。実際、シーズン途中からの転向にも関わらず30セーブを達成。一時は最多セーブ投手のタイトルを獲りそうな勢いだったことからも、首脳陣の判断は間違っていなかった。
しかしクローザーとしての「始まり」は、先発としての「終わり」を意味する。かつて先発として一時代を築いた男にとって、「先発として終わった」と思われることが何よりの屈辱であったと考えることは難しくない。涌井はポーカーフェイスで有名だが、お世話になった先輩の引退式で涙するなど、「熱い」一面も持っているからだ。その先発へのこだわり、熱意が「先発として自分を必要としてくれるチームへ行く」というFA移籍で表面化したのである。そして、手を挙げたロッテのユニフォームを着ることになった。
移籍1年目の昨季は8勝12敗と負けが先行したが、ロッテの投手陣では石川歩、成瀬善久(現ヤクルト)に次ぐ3番目の勝ち数。FAは即結果が求められるが、ここ数年まともに先発をしていなかったことを考えるとまずまずの数字だろう。
そして今季、3年ぶりの開幕投手を任された涌井は、開幕から2連勝を果たす。また7月後半からの12試合では、9勝2敗、1試合平均7.3イニングという破格のピッチングを披露。疲れと暑さで多くの投手が調子を崩しがちな夏場に、逆に調子を上げたのである。シーズン通算では15勝9敗で6つの貯金を作り、先発投手を評価指針の一つであるクオリティスタート率もパ・リーグ3位の75%を達成するなど、まさにエースと呼ぶにふさわしい働きを見せた。
とはいえ、今季はたまたま調子が良かっただけかもしれない。研究されて、来季はまた成績が落ち込むかもしれない。しかし一度「失格」の烙印を押されながらも這い上がってきた涌井なら、次の壁もきっと乗り越えていくと思える。ありきたりの言葉だが、神様はその人がクリアできない試練は与えないからだ。
文=森田真悟(もりた・しんご)
埼玉県出身。地元球団・埼玉西武ライオンズをこよなく愛するアラサーのフリーライター。現在は1歳半の息子に野球中継を見せて、日々、英才教育に勤しむ。