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《ホークス背番号列伝・第7回》数奇な運命の背番号。入団が7番か、退団が7番か……。


南海時代から数え、2017年に創設80周年を迎えるホークス。球団の歴史を背番号で振り返っていくホークス背番号列伝。今回は「背番号7」の選手を紹介しよう。

門田の代役を期待された元メジャーリーガー


 ダイエー時代以降、ホークスで背番号7をつけた選手は全部で9名。彼らは「他球団からの移籍組」と、「入団時に7番を背負い他球団へ移籍組」の2グループに分けられる。

 まずは「他球団からの移籍組」を見ていこう。

 メジャー通算123本塁打の実績を引っ提げてダイエー設立元年の1989年に入団したアップショー。

 123試合に出場して33本塁打、80打点とまずまずの成績を残した。しかし、南海ラストイヤーに44本塁打、125打点の二冠王に輝くも「福岡は遠い」とホークスを去った門田博光の役割を求められていたため、期待外れの感も否めなかった。

 翌1990年の出場数はわずか51試合。シーズン途中に帰国してしまった。


投手の背番号7番


 1991年はロッテ、広島と渡り歩き、金銭トレードで移籍してきた水上善雄が背番号7を背負った。

 全盛期を過ぎていたこともあり、水上は2年で引退。野球から離れた時期もあったが、2007年から北海道日本ハムファイターズのコーチとして球界復帰。そして現在は、ソフトバンクの2軍監督を務めている。

 今季限りでソフトバンクを去ったバリオスは2013年7月末、育成から支配下登録され背番号7を背負うことに。投手が7番を背負うのは珍しいと話題になった。

 ほかの「他球団からの移籍組」は石毛宏典(1995年から1996年)と大村直之(2005年から2008年)。ともにフリーエージェントでの加入だった。

移籍後ブレイク&最年長現役野手


 入団時に背番号7を背負い、他球団に移籍した選手は3名。

 バルセロナ五輪の銅メダルメンバーの一員で、1992年のドラフト4位で入団した佐藤真一は、即戦力としての期待も込められ背番号7を背負った。しかし、3年間で87試合の出場にとどまり、ヤクルトへ移籍。

 ヤクルトでは1999年に、主に3番を打ち規定打席に足りなかったものの打率.341を記録。その後も代打の切り札として貢献し、2005年までプレーした。

 大学生ナンバーワン野手との触れ込みで1996年のドラフト1位で入団した井口忠仁(現・資仁)は、8年間在籍した後にメジャーリーグへ。現在はロッテでプレー。42歳のNPB最年長野手として現役続行中。

 2008年のドラフト2位で入団し、背番号7を背負ったのが立岡宗一郎。ソフトバンクでは1軍出場はわずかに1試合のみ。2012年6月に巨人に移籍。巨人では2015年には91試合、2016年は51試合に出場した。


10年目の背番号7


 そして現在、背番号7を背負うのは中村晃。2007年の高校生ドラフト3巡目での入団時から7番を背負い、今季で10年目を迎える。なお、ホークス一筋で背番号7番を全うした選手は南海の藤原満のみで、15年間に渡って7番を背負った(引退後のコーチ時代も1年間7番を着用)。

 中村晃は、あと何年、背番号7でプレーを続けるのだろうか。

文=溝手孝司(みぞて・たかし)
札幌在住。広告代理業を営みながら、ライター、イベントなどスポーツ関連の仕事もこなす。生まれも育ちも北海道ながら、ホークスファン歴約40年。

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