1980年、秋山幸二がドラフト外で入団した際の背番号は「71」だった。プロ2年目から背番号が「24」に変わり、アメリカの野球留学で経験を重ねた。
プロ5年目の1985年には40本塁打をマーク。長距離砲として台頭し注目を集める。1986年も41本塁打と結果を出し、日本シリーズでは第8戦に同点弾を放つと、ホームインの際にバック宙を決め身体能力の高さをアピールした。
1987年からは背番号1を背負い、43本塁打で初の本塁打王を獲得すると同時に、ゴールデングラブ賞も受賞。走攻守三拍子揃った外野手として地位を確立した。3番・秋山、4番・清原の「AK砲」は西武黄金時代の象徴でもあった。
PL学園時代は投手だった松井稼頭央だが、その高い身体能力を生かすためプロ入りと同時に内野手へ転向。プロ2年目の1995年に21盗塁とその才能の片鱗を見せる。
1996年には「2番・ショート」で開幕スタメンを果たすと、ショートのレギュラーとして全試合に出場。盗塁王となった村松有人(ダイエー)に次ぐ50盗塁をマークする。オフの日米野球では故障のため離脱した田中幸雄(日本ハム)に代わり全日本チームに合流すると、自慢の俊足で活躍しMLB側から「リトル松井」として一躍注目を集めた。
1997年から背番号7に変わり、オールスターゲーム第1戦ではオールスター記録となる1試合4盗塁と大暴れ。シーズンでも62盗塁と初めて盗塁王を獲得し、3年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献した。
次第に長打力も身につけ2002年には打率.332、36本塁打、33盗塁でトリプルスリーを達成する。MLBを経て、楽天で現役としてプレーを続けている。
中島裕之は伊丹北から2000年ドラフト5位で入団。松井同様にプロ入りと同時に投手から内野手へコンバートされた。2年目まで2軍で経験を積み、3年目の2003年には1軍で44試合と出場機会を増やした。この年のオフに松井がメッツへFA移籍することが決まり、その後釜のショートとして中島が抜擢される。さらに背番号も「3」に変更となる。
2004年には開幕戦に「7番・ショート」でスタメン出場。その思い切りのいい打撃でレギュラーの座を守り抜き、終わってみれば打率.287、27本塁打、90打点と予想以上の結果を残し、12年ぶりの日本一に大きく貢献する。
その後は2006年から主に3番打者とチームの主軸を担い、リーグを代表するショートにまで成長を遂げた。2012年オフにはFAでアスレチックスへ移籍し、2015年からはオリックスでプレーしている。
浅村の背番号変更によって、西武にとっては5年ぶりに背番号3が復活する。
文=武山智史(たけやま・さとし)