プロ初マスクの試合で、プロ初のマルチ安打を記録。しかも、コンビを組んだのは同じ早稲田大出身の斎藤佑樹。東京ドームは大いに盛り上がりをみせた。
甲子園を目指さず、プロ野球へ……この系譜は、大きく3つに大別することができる。そのひとつが大嶋に代表される「他競技からの転身組」だ。
過去には、元100m日本記録保持者で、東京・メキシコ五輪にも出場した飯島秀雄(元ロッテ)、やりなげ国体6位という経歴からプロ入りした日月鉄二(元西武)らがいる。
飯島は「代走専門選手」として期待され、1軍デビュー戦で見事に盗塁成功。通算でも23盗塁を記録した。ただ、1軍では打席に立つことも守備につくこともなく、本当に「代走専門選手」として3年で引退。日月は1軍での出場経験がないまま、すぐに現役を引退している。
やはり、他競技からの転身はそれだけ無茶がある、ということだろう。だからこそ、大嶋の挑戦には意義があるのだ。
他競技出身、とは言いすぎかもしれないが、軟式野球出身者もこの系譜にあてはまる。高校時代に軟式野球部だった選手といえば、清水章夫(元日本ハムほか)、河本育之(元ロッテほか)らがいる。彼らもまた「甲子園を目指さなかった男たち」と言っていいだろう。ただ、清水は大学で、河本は社会人で硬式野球に触れているため、純粋に「軟式野球一筋からプロへ」という選手はほとんどいないのが実情だ。
ちなみに、軟式野球出身、というと野球殿堂入りを果たした大野豊(元広島)を連想する。だが、大野は高校までは硬式野球部。軟式は社会人に入ってからだ。
甲子園を目指さなかった球児たち。2つめのケースは「アメリカ系学校出身」というケースだ。
代表例は2004年、ドラフト制以降では史上最年少の15歳で阪神に指名された辻本賢人が思い浮かぶ。1989年1月6日生まれ。史上唯一の「昭和64年生まれのプロ野球選手」である辻本は、学年でいえば田中将大世代にあたる。実際、田中と辻本は宝塚ボーイズ時代、数カ月という短い期間だがチームメイトだったこともある。
15歳でプロ入り、ということから、辻本のことを「中学からプロへ」と認識している人も多いが、厳密にいうと少々異なる。中学1年で渡米し、カリフォルニア州のマタデーハイスクールで日本の義務教育に当たる9年生課程を修了。その後にドラフト指名されたわけだ(ただし、マタデーハイスクールは中退)。
プロ入り時は大騒ぎになった辻本だったが、ケガの影響もあり、1軍登板機会のないまま2009年限りで退団。その後、アメリカ独立リーグを経て、2011年にはメッツとマイナー契約を結ぶに至ったが、メジャー昇格は果たせていない。
辻本以外では、藤谷周平(元ロッテ)もこの系譜だ。東京都出身の藤谷は、父親の仕事の関係で中学時代に渡米。高校はカリフォルニア州にあるアービン高校に進学した。
高校卒業後もアメリカで暮らし、ノーザン・アイオワ大に進学。野球部では主に救援投手として活躍し、2009年6月のMLBドラフトではパドレスから指名を受けたほどだった(入団はせず)。その後、南カリフォルニア大を経て、2010年のドラフトでロッテが6位指名。だが、1軍登板機会はないまま、2014年に自由契約となっている。
甲子園を目指さず、プロ野球へ。3つめは、高校を中退し、志半ばで甲子園の夢を諦めた男たちだ。ただし、ドラフト制度がまだ整備されていなかった時代には、あえて中退させてプロ野球へ、というケースも多かった。そのため、ここではそれらの事例以外から打者、投手をひとりずつ挙げておこう。
高校中退組で一流にのぼりつめた打者。その最たる例が「史上最強のスイッチヒッター」といわれた松永浩美(元阪急ほか)だ。
実はサッカー少年だったという松永は、中学でサッカー部がなかったために野球を始めたという変わり種。そこから野球にのめり込み、高校でも野球部に入部した。だが、家庭の事情で高校を中退。それでも、野球を諦めきれなかったため、用具係として阪急の球団職員になり、2年後にようやくプロ野球選手になったのだ。
投手でこの系譜にあたるのが、日本プロ野球を経験せずにメジャーリーグ入りを果たした初の日本人選手、マック鈴木(元オリックスほか)だ。
特待生として地元・兵庫の野球強豪校に入学した鈴木は、1年生の冬休み、帰省した際に傷害事件を起こしてしまい、自主退学。その後、知人の紹介で団野村氏がオーナーを務めていたアメリカ1A「サリナス・スパーズ」に入団した。
渡米したのは1992年、17歳のとき。だが、当初の扱いは選手としてではなく球団職員。ボールボーイや洗濯雑用係などを務めていた。鈴木も選手としてプレーするつもりはなく、野球道具は何も持たずに渡米していたが、洗濯や掃除の合間に選手のキャッチボール相手をしていたところ、その強肩ぶりが評判に。いつしかバッティングピッチャーを務めるようになり、とうとう選手として試合出場を果たしたのだ。
メジャー初登板は1996年、21歳のとき。メジャー初勝利は1998年、23歳。そして2002年、27歳の秋にドラフト会議でオリックスに指名され、逆輸入選手としてNPBのプロ野球選手になったわけだ。
松永とマック鈴木。奇しくも二人は「球団職員」として雑務をこなし、そこから「プロ野球選手」への道を切り開いた共通点がある。