現役時代の捕手・梨田昌孝は多くのシーズンを2学年上の先輩捕手・有田修三との競争のなかで過ごした。400打席以上に立ったシーズンは現役17年中4年しかない。
「ありなしコンビ」と呼ばれた2人は他球団の面々から「正捕手が2人いる」と言われ、ともに実力を評価されていたが、本人にとってはもどかしかったかもしれない。
しかし、この経験は監督・梨田昌孝の“自在性”に繋がっているのではないだろうか。近鉄、日本ハム、そして今季の楽天と臆することのない捕手采配が続いている。捕手併用制のメリットとリスクを、身を持って知っているからだ。
まずは近鉄時代。就任1年目の2000年は礒部公一を積極的に起用したが、弱肩を克服できず、2年目のオープン戦でスパッと外野にコンバート。的山哲也を正捕手に据えた。
しかし、的山が正捕手といってももちろん条件つき。試合終盤にはベテランの古久保健二を抑え捕手として起用し、変則的な捕手併用制を採用した。
そして、投手陣と的山に疲れが見えた夏場には、大胆にも正捕手を古久保にスイッチ。これがピタリとハマり、近鉄投手陣はリフレッシュ。苦労しながらもなんとか持ちこたえ、リーグ優勝を手にした。
前年、古久保は5試合しか1軍出場はなかったが、実力はすでに織り込み済みだったのだろう。「礒部→的山→古久保」の大胆な切り替えは、「正捕手信仰」の強い監督ではできなかっただろう。
捕手に恵まれている点は日本ハム時代も同じ。2008年の就任当初は鶴岡慎也の1強だったが、2年目に大野奨太が台頭。先発捕手・大野から抑え捕手・鶴岡のパターンも近鉄時代を思い出す采配だった。
さらに8月にはチーム内でインフルエンザが大流行し、大野と鶴岡の両者が罹患。大ピンチに陥ったが中嶋聡、高橋信二の2人で2試合を埋めてチームの危機を救ったこともある。
そして、楽天1年目の昨季は、嶋基宏が左手骨折で離脱した隙に足立祐一が台頭。今季も足立が開幕直前にインフルエンザで離脱するアクシデントがあったが、またしても細川亨が代役としてブルペンを暖め、嶋が故障すると今度は足立が帰還していた。
足立と嶋の両者が揃ってからは「嶋→足立」、「足立→嶋」の「捕手継捕」も採用している。強運もあるだろうが、張り巡らされた捕手のセーフティーネットには感嘆するばかり。梨田監督は捕手の神様に愛されている。
チーム完成の早さ、自在性などのキーワードを挙げていくと、同じような特徴を持つ監督が他競技にいる。楽天と同じく三木谷浩史氏がオーナーを務めるサッカーJ1・ヴィッセル神戸のネルシーニョ監督だ。
ブラジルの名門チームを率いて数々のタイトルを獲得したネルシーニョ監督は、Jリーグではヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ1969)、名古屋グランパスエイト、柏レイソルでも指揮を執った熟練の名監督。チームの整備が非常に早いことでも知られている。
特に柏時代はすさまじかった。2009年の中盤にチームの不振を受けて監督に就任。その年は状態が上がらず、J2に降格したが、2010年には23勝2敗11分の圧倒的な好成績でJ2を優勝。翌2011年には昇格即J1優勝の快挙を成し遂げた。
実質的に1年目といえるJ2時代には酒井宏樹、茨田陽生、田中順也、橋本和など、それまで出場機会が乏しかった選手を積極起用し、チームの主力に成長させていった。当初はセンターバックだった酒井宏樹を右サイドバックにコンバートしたのもネルシーニョ監督だ。今では酒井が日本代表のサイドバックに定着しているのは周知の通りだ。
チームの土台作り、新戦力の抜擢、コンバートなどは梨田監督も共通するところだ。
昨季は茂木栄五郎を大学時代の三塁から遊撃にコンバート。今季も森原康平や菅原秀などの新戦力を巧みに起用している。近鉄時代の磯部公一の外野コンバートや、日本ハム時代の糸井嘉男、陽岱鋼の抜擢も重なって見える。
潔いオーダーの切り替えも共通項だ。梨田監督が状況に応じて、2番から4番に並ぶペゲーロ、ウィーラー、アマダーの助っ人トリオをあっさり解体したように、ネルシーニョ監督も相手によってはスパッと4バックから3バックに切り替える。
オプションの作り方が2人ともダイナミックかつ明確で後手を踏まない。梨田監督はサッカー界の名将と同じく、先手が打てる監督だ。
梨田監督より一足先の2015年にヴィッセル神戸に就任したネルシーニョ監督は、それまでJ1中位から下位に位置していたチームを2ndステージ2位に押し上げた。
楽天という同じ母体、名将の匂いを醸し出す監督、楽天とヴィッセル神戸の快進撃は見事に同期しているように感じるのは気のせいだろうか。
(※写真は近鉄時代の梨田監督)
文=落合初春(おちあい・もとはる)