10月5日からセ・パ両リーグともにクライマックスシリーズ(以下、CS)のファーストステージが始まる。セ・リーグは巨人、パ・リーグは西武が待ち受けるファイナルステージへの切符をかけた争いから名勝負が生まれることだろう。
これまでのCSでも多くの名勝負が演じられてきた。ここで過去のCS(プレーオフ含む)から名勝負を選りすぐり、振り返ってみたい。
2006年のパ・リーグプレーオフ第2ステージは、札幌ドームで日本ハムとソフトバンクで争われた。アドバンテージを含め日本ハムが2勝0敗と王手をかけて迎えた第2戦はまさに死闘だった。
この試合の結果は覚えていなくとも、その映像や写真を目にしたことがある野球ファンは多いはずだ。ソフトバンクのエース・斉藤和巳がマウンドで崩れ落ち、しばらく動けなくなったあの試合だ。
この年のプレーオフ、斉藤は西武との第1ステージでも死闘を演じた。松坂大輔(現・中日)との投げ合いとなった第1戦。この試合で斉藤は9回1失点完投負けを喫している。決勝打を放ったのは和田一浩だった。
一方の松坂は完封勝利。第2戦、第3戦でソフトバンクが連勝したことで第2ステージへと進出したものの、斉藤自身は勝ち星を挙げることができなかった。
そして迎えた第2ステージの第2戦。斉藤、そして日本ハム先発の八木智哉が互いに譲らず、試合は9回に突入する。9回表に得点できなかったソフトバンクは、当然のように斉藤が9回のマウンドへ。
ここで斉藤は森本稀哲に、この試合初めての四球を出してしまう。その後、2死一、二塁となって迎えたのは、このプレーオフでここまでノーヒットと苦しんでいた稲葉篤紀。初球は151キロのストレート。
しかし、その次の変化球を稲葉はスイング。あわやセンター前に抜けるかという打球を二塁手・仲澤忠厚が好捕。二塁ベースに入った川?宗則にトスを投げる。しかし、無情にも判定はセーフ。すでにそのとき、二塁走者の森本は三塁を回っていた。
次の瞬間にはホームに還った森本を迎える日本ハム選手たちによる歓喜の輪。まさに紙一重。一瞬の攻防だった。
早めの継投策が主流となりつつある近年のポストシーズンでは、先発投手が完投することは珍しい。だが、わずか13年前に球界を代表するエースが、2試合連続で0対1の完投負けを喫していたのである。
2016年。DeNAが初めてCSへ駒を進めた年だ。この年のCSファーストステージは東京ドームで行われた。このステージは1戦目、2戦目ともに僅差のゲームとなった。
第3戦も同点のまま試合は終盤戦へと突入する。3対3の同点で迎えた9回裏、巨人は先頭の村田修一が内野安打で出塁する。この日、3安打猛打賞と気を吐いた村田に代えて、高橋由伸監督は代走のスペシャリスト・鈴木尚広をグラウンドに送り出す。
阿部慎之助、長野久義と続く打順。送りバントはない。鈴木が走り、無死二塁を作り、2人で勝負を決める。それが高橋監督の青写真だったはずだ。
しかしマウンドの田中健二朗も十二分に警戒している。牽制球こそ投げないものの目で鈴木を制す。カウント1ボール1ストライクから初めての牽制。鈴木は悠々セーフ。
しかしその30秒後…。
田中の2度目の牽制に鈴木は戻りきれずタッチアウト。ベース上でうなだれる鈴木。ベンチに戻るとき、少し上に目線を向けた表情は重い。結果的にこれが鈴木の現役最後のプレーとなってしまった。
試合は延長戦に末にDeNAが1点差で勝利するわけだが、明暗を分けたのは一瞬のプレーだった。
2011年セ・リーグのCSファイナルステージ。中日がアドバンテージを含め3勝2敗と王手をかけた状態で迎えた第5戦は息詰まる投手戦となった。
中日・吉見一起とヤクルト・館山昌平の両先発が譲らない。均衡を破ったのは意外な男の一発だった。
0対0で迎えた6回裏、中日は1死から荒木雅博が四球で出塁。次打者は井端弘和。応援歌の前奏が鳴り響く間に牽制を1球。ヤクルトは荒木の足を警戒する。中2日の影響なのか、館山の表情は険しい。
一方、数度の牽制があったため間は長いが井端は落ち着いている。カウント2ボール2ストライクからの5球目をフルスイング。打球は広いナゴヤドームのレフトスタンドへ吸い込まれていった。
シーズンでも1本しか本塁打を放っていない井端が、値千金の一発で試合を動かしたのである。まさに1球が明暗を分けた。結局、この2点が決勝点となり、中日はこの試合に勝利。落合博満監督最後のシーズンで、見事に日本シリーズ出場を勝ち取ったのである。
他にも数え切れないほどの名勝負はあるが、特に記憶に残る3試合を紹介した。今年はこの記憶が上書きされるような名勝負が生まれるだろうか。
文=勝田聡(かつた・さとし)