日本では「死」をイメージすることから敬遠されることもある背番号4は、ホークスに限らず外国人がつけるケースが少なくない。
ダイエー、ソフトバンクを通じて背番号4番をつけた外国人選手は4人いる。
まずはメジャーで4本塁打をマークし、長距離砲として期待され2002年に入団したバークハート。酒も煙草もやらず練習態度も熱心。当時の王貞治監督も「日本向きの選手」と期待したが、42試合の出場にとどまり、打率は.214。大きく期待を裏切り1年で帰国した。
2003年にテスト入団したネルソンは、ケガをした小久保裕紀に代わる三塁手として期待されたが、54試合に出場し打率.228とサッパリ。2007年入団のアダムは47試合で打率.272。2009年入団のアギーラは14試合で打率.095。
4人の外国人選手は、いずれも1シーズンでホークスを去っていった……。
期待外れの外国人選手と対照的に、背番号4を背負った日本人選手は、いぶし銀の存在感を発揮し活躍した。
森脇浩司は南海、ダイエーで10年間、背番号4番を背負ってプレー。規定打席に達したことは一度もないが、二塁、三塁、遊撃をこなすユーティリティープレイヤーとして活躍した。
引退後はダイエー、ソフトバンク、巨人のコーチ、オリックスの監督に。2014年、ソフトバンクがリーグ優勝をかけてオリックスと激突した「ホーム最終戦優勝試合(福岡ヤフオク!ドーム)」では、森脇はホークスの敵軍・オリックスのベンチで指揮を執った。
1988年から1993年まで森脇とともにプレーしていた柳田聖人は、1994年からヤクルトスワローズに移籍し、1996年に再びダイエーに復帰。「40」→「61」→「00」→「39」に続き、5つ目の背番号として1997年から2001年まで背番号4番を背負った。
柳田は内野ならどこでも守り、先発はもちろん、代打・代走・守備固めと、バイプレーヤーとして活躍した。
そして2012年から現在まで背番号4を背負うのは金子圭輔。金子も内野ならどこでも守れ、さらには外野手としての出場キャリアも持つ。
森脇、柳田、金子。
3人の共通点は、複数のポジションを守れる器用さがあること。移籍経験があるのにホークス色が強いこと。そして、派手さはないがファンから愛される選手であることだ。
ほかには出口雄大が2004年から2005年にかけて、清水将海が2010年から2011年にかけて背番号4を背負っている。現在、出口はホークスジュニアアカデミーのOBコーチを務め、清水はソフトバンクの1軍バッテリーコーチ。ふたりとも、今もホークスと携わっている。
文=溝手孝司(みぞて・たかし)
札幌在住。広告代理業を営みながら、ライター、イベントなどスポーツ関連の仕事もこなす。生まれも育ちも北海道ながら、ホークスファン歴約40年。2016年は…、と書きだしたら長編大作になりそうなので心の中に留めておきますw