4年前の12月――。
グランドホテル湘南(神奈川)で、中日ドラゴンズから1位指名を受けた高橋周平(当時・東海大甲府)の入団激励会が行われた。300人以上の出席者がいるなかで、代表して花束を贈呈したひとりが小笠原慎之介だった。当時は、中学2年。湘南ボーイズのエースとして活躍していたときだった。
そこには、「次にプロを目指すのはお前だぞ」という、湘南ボーイズ・田代栄次監督の想いがあった。
高橋と小笠原は善行小の先輩後輩で善行野球スポーツ少年団、湘南ボーイズと、同じ道を歩んできた。小学校のときから、自宅近くの公園で一緒に野球をやってきた仲である。
ドラフト前には、「対戦したいバッター」に高橋周平の名を挙げていたが…、小笠原がドラフトで指名されたのは中日ドラゴンズ。外れ1位の指名で中日と日本ハムが重複したのち、中日が交渉権を獲得した。
「顔を知っている選手がいるというだけで心強いので、頑張りたいと思います」
ドラフト当日の記者会見で、そう答えた小笠原。憧れでもあった先輩がいる中日でのプレーが決まった。
投手としての武器は、180センチ83キロの堂々たる体格から投げ込む最速151キロのストレートと、空振りを奪えるチェンジアップ。カーブ、スライダーにまだ課題があるが、投手としてのスケールの大きさ、伸びしろは十分なものを持っている。
そして、何よりすばらしいと感じるのは心の強さだ。どんな舞台であっても、動じることなく、自分の力を発揮することができる。
今年9月中旬、東海大相模の寮で取材をしたとき、あまりに強い言葉が返ってきて、ドキリとしたことがある。アウトコースを待っていたら、クロスファイアーでズバッと見逃し三振を食らったような気分だった。
「自分自身では、メンタルは強いほうだと思う?」と問うと、「誰にも負けないと思います!」と即答した。ここまで堂々と言い切る高校球児には初めて出会った。
当然のことながら、メンタルの強さは、数字では測れないものだ。ほかの誰かと比べることもできない。それでも、小笠原は「誰にも負けない」と言い切った。
――なぜ、そこまで言い切れる?
「去年、あの満塁の場面で抑えられたことで確信しました。自信が確信に変わったかなと思います」
メンタルにはもともと自信があったという。昨秋インタビューしたときには、「(ピンチでの登板は)得意っちゃ得意です。『あ、ありがとうございます! ここで抑えたらヒーローだな』と思って投げています」と答えていた。こんなことを語る高校生もそうはいないだろう。
小笠原が語る満塁の場面とは、2年夏の神奈川大会準決勝、対横浜戦だ。9回表2点差に追いあげられ、2アウト満塁のピンチで登板。スタンドが横浜ムードになるなかで、140キロ台のクロスファイアーで攻め込み、最後はツーシームでライトライナーに仕留めた。
さらに、甲子園の初戦、盛岡大付属戦では2対4と逆転された6回、2アウト一塁の場面で登板し、流れを食い止めた。
このあたりの起用について、過去には門馬敬治監督はこうコメントしている。
「ああいった苦しい場面を乗り切れるのは誰ですか…となったら、小笠原なんです。小笠原はピッチャーとしての嗅覚を持っている。だから、勝てるピッチャーなんですよ。来年は本当に働いてもらいます」
ちなみに、当時の取材ノートを読み返してみると、こんな言葉も残している。
「最近、バッティングに目覚めて困っているんですよ。すごい。今、左バッターで一番いい。4番で使おうかなと思っているぐらいで」
今夏、門馬監督の期待どおり、小笠原は勝ち続け、甲子園では決勝ホームランまで放った。
夏に光っていたのも心の強さだ。
渡辺元智監督の最後の夏となる横浜との決勝戦、東北勢初優勝がかかった仙台育英との決勝戦は、東海大相模にとって完全アウェー。そんな状況であっても、動じることなく立ち向かい続けた。
仙台育英戦では、小笠原が何度となく、センターバックスクリーンを見る姿があった。
「スタンドのどこを見渡しても、タオルを回していたので(仙台育英の名物応援)、バックスクリーンを見るようにしていたんです。お客さんが入らないのでどっちにも味方というか。スコアボードを見て、現実を受け止めていました」
6回裏2アウト満塁からタイムリー三塁打が出たときは、甲子園の応援席が仙台育英の応援で揺れていた。それでもズルズルいかないのが小笠原の強さ。ライトフライに仕留め、9回の自らの勝ち越しホームランにつなげていった。
「3年間で一番アウェー感があったのが、育英戦でした。でも、楽しかったです。ホームで持ち上げられるよりも、アウェーのなかで敵を倒したほうが気持ちがいい」
私が感じたのは、どんなときでも表情を変えずに投げていたことだ。味方がエラーをしても、淡々と投げ続ける。これも、自分自身で意識していたことだという。
「顔に見せなければ何とかなるだろうと考えています。弱みを出すと、そこから叩きこまれる。監督さんからも『顔に出る選手は強くない』と言われていました」
門馬監督が常々語っているのが、「うまい選手ではなく、強い選手になれ」。
小笠原の心は最後まで動じず、強くあり続けた。この強さは、プロでも武器になりうるはずだ。
ピッチングコーチとして、小笠原を鍛えてきたのが長谷川将也コーチだ。自身は2006年センバツに出場し、甲子園のマウンドで投げた経験を持っている。
走り込みの本数などトレーニングメニューを考えるのも、主に長谷川コーチとなる。小笠原は、1年冬は足首のねんざで走り込みがまったくできなかったが、2年冬には400メートル×10本の走り込みに加えて、筋肥大を狙った週4日のウエートトレーニングをやりこんだ。スクワットの最高値は200kgまで到達。強靭な下半身から、150キロ台のストレートが生まれている。
太りやすい体質の小笠原だが、2年秋が終わってからは体脂肪率に気をつけるようにもなった。2年時は20パーセント台だったが、3年になってからは17パーセント前後をキープ。大好きな甘いものを食べないように心がけた。
間近で見てきた長谷川コーチには、小笠原の姿はどう映っていたのだろうか。
「あいつは研究熱心なんですよ。いろんなピッチャーに、いろんなことを聞いて、自分に生かそうとしている。練習試合でも、相手のピッチャーに『どうやってスライダー投げているの?』と聞いていたこともありました」
現状に満足せずに、常に上を目指し続けてきた。
3年春からランナーなしの場面でもセットポジションで投げるようになったが、これはDeNAの山?康晃を参考にしたものだ。
「それまではワインドアップで投げていたんですけど、上と下が合わなくなっていたんです。それをセットにすることで、テンポがよくなって、自分にはセットのほうが合っていました」
敗戦からの学びも多い。負けたことを無駄にせず、自分の力に変えてきた。「あの敗戦が自分を大きく変えてくれました」と振り返るのが、3年春の関東大会準決勝での浦和学院戦だ。
先発完投し、0対4の敗戦。試合後には涙を流す姿もあった。高校3年間、完投して負けたのはこの試合が最初で最後だった。
浦和学院戦で学びは2つある。1つはチェンジアップの習得だ。8回に荒木裕也にチェンジアップをうまく拾われ、レフトスタンドに運ばれた。低めのチェンジアップで決して悪いコースではなかったが、小笠原には不満があった。
「腕が振れず、置きにいってしまった。チェンジアップこそ、腕を振らなければいけない」
浦和学院のエース江口奨理が、腕を振ってチェンジアップを投げている姿も印象的だった。このチェンジアップに東海大相模打線は対応できず、完封負けを喫した。
荒木に打たれた一発以来、チェンジアップに対する意識が変わった。小笠原の言葉を借りれば、「真面目に取り組むようになった」。キャッチボールのときからチェンジアップの腕振りを意識して、投げ込んだ。つかんだコツは、中指だけ縫い目にかけて、中指で回転をかけること。ストレートとは違い人差し指の力が加わらないため、必然的にスピードは遅くなる。
もうひとつは、江口が見せた左打者のインコースへのストレートだ。球速は130キロ台前後と決して速くないが、打者の近くに的確に投げ込んでいた。
「関東大会が終わってから、左バッターのインコースを練習しました。江口が投げていたので、俺も投げられるんだぞと。それまではシュート回転して当てるのが怖かったんですけど、気持ちを強く持って投げ切りました」
甲子園後のU-18では「県岐阜商・?橋(純平、ソフトバンク1位)からカーブを教わった」という記事が新聞紙面に載っていた。本人に確認してみると、「高橋のカーブは外側に抜くイメージ。やってみたんですけど、しっくりいかなかったんです」と苦笑い。モノにはできなかったが、どこに行っても、いいピッチャーから学ぼうとする姿勢は変わっていない。
一流選手が揃うプロ野球の世界では、プロだからこその技術を持った投手がいる。高いレベルを見て学ぶことで、小笠原の感覚はさらに磨かれていくであろう。
心の強さ、学ぶ意欲、吸収力の高さ。速い球を投げるだけが小笠原の魅力ではない。ドラフト1位にふさわしい心を持っている。
(取材・文=大利実)
この記事は『野球太郎 No.016 2015ドラフト総決算&2016大展望号』の「野球太郎ストーリーズ」よりダイジェストでお届けしております。
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発売日:2015/11/28 | |
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ISBN:9784331803196 |