「野球芸人」第1回のトータルテンボス・藤田憲右さんに続いて登場するのは、ナイツ・塙宣之さん。
大の巨人ファンとして知られる塙さん。ナイツのお家芸とも言える「ヤホーで調べました」の漫才ネタは、実は「野球」がヒントになっていたそうです。
そんな塙さんに全4週に渡って、野球と漫才について語ってもらう短期連載第2回。今回は「野球漫才」について。
「ヤホーで調べました」誕生秘話
2005年くらいから、「野球漫才」をやるようになりました。キッカケと言うか、その頃になってようやく、「自分が好きなことをやったほうがいい」ということがわかってきたからです。ネタ見せをしていても、「本当にそれ体験したことあるの?」とか「ホントにそんなこと思ってる?」というネタが結構多かったので、自分が本当に喋れることのほうが、お客さんにより伝わるんじゃないかと思ったんですよね。
そこでまずやり始めたのが「イチロー」ネタです。「イチローが大好きなんでイチローを語ります」と喋り始めて、それがだんだん「鳥羽一郎」になる……というのをずっとやっていたんです。でも、3年くらい野球漫才をやっていて、それはそれで寄席での男性ウケはすごく良かったんですけど、M-1グランプリといった賞レースで突き抜けるまでにはいかなかったんです。
じゃあどうしよう? と思って、例えば「イチロー」を「SMAP」とか、みんなにとってポピュラーなものを熱く語ってそこから間違える形式に変えた方がいいんじゃないのかと考えて、「SMAP」や「マイケル・ジャクソン」というネタを作ったんです。そうしたらすごく手応えがあったんです。
そこからさらに、熱く語るのに“言い間違いする”っていうのはそもそもおかしいし、設定に無理があるだろうということで、「僕、知らなかったんですけど、昨日調べたんですよ」という、いわゆる「ヤホー」の設定を加えてみたら、無茶苦茶ウケるようになったんですよ。そこからM-1でもやった「宮崎駿」といったネタなどができていきました。
WBC直後の「内川ネタ」
だから、もともとは「野球選手を語る」というところから変化を遂げて、今の漫才のスタイルができていったんです。好きなことを続けていて良かったなぁと思いますが、見方を変えると、野球漫才にずっと固執していたら今の地位はない、ということでもありますよね。
と言っても、寄席や演芸場でやる場合は、年配のお客さんが多いからか、今でもやっぱり野球漫才は欠かせないです。むしろ、いつも営業でかけているネタが寄席ではウケない場合があるので、野球ネタを持っていて良かったなぁと思いますね。
例えばサッカーのW杯があった直後に、日本代表の「駒野」でネタを作ったことがあるんです。どんなネタかというと、「日本がW杯に負けたことをウジウジ言ってる人がいますけど、そんなこと今さらしょうがないですよ。日本が負けたのは駒野がPKを外したからですよ」と。でもこれ、今ひとつウケが悪かったんです。
一方で、今年のWBCが終わった後、「日本がWBCで負けたことをネットでいろいろ酷く言う奴がいますけど、俺、許せないっすよ。日本が負けたのは内川一人のせいで負けたんですから!」っていうネタをやると、滅茶苦茶ウケるんですよ。「駒野」の時よりも全然ウケるんです。内川はそうは言っても打っていたし、ちゃんとギャグになるんですよ。
駒野の場合、PKを外すっていうのはあまりにも痛々しいというか、ちょっと引かれてしまうんですが、内川の場合は采配の問題もあるじゃないですか。だから「いや、内川悪くねーだろ」みたいにツッコミやすいんですよね。
秋山・清原・デストラーデ
細かいボケも含めれば、野球ネタは今までに100個くらいは作っています。例えば、「野球の話はもういい」という流れで「じゃあ、AKBの話をしまーす」と言っておいて「秋山・清原・デストラーデ」「いやそれ、AKD砲でしょ」とか(笑)。ちなみに、「秋山・清原・バークレオ」というパターンもあるんですけど、だいたいデストラーデの方がウケはいいですね。
あとは「ブログのアクセス数を増やしたい」という話をしてからの「ブロスの悪送球」とか、「コスメの話」からの「ゴメスの話」とか、「カチューシャの話」と言っておいて「左中間」の話をしたり。そう細かいのをどんどん作っていったんです。
ほかにも、歌の歌詞を野球選手に置き換えていく、というネタもあります。「世界に一つだけのホーナー」とか、サザンの「マンピーのG☆SPOT」を「マンピーのオビースポ」とか。全部で、4パターンくらい歌ネタはありますね。
あと、定番の野球ネタとしては「打順間違え」。ただ、以前は「巨人軍の打順」というネタで、ラミレスと小笠原で落としていたんですよ。ところが、ラミレスがDeNAに移籍してしまい、小笠原も試合に出てないから、ちょっと今は打順ネタが難しいのが残念ですね。