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◆第四回/「さん」付けで書かずにいられない

 身長200cm、体重90kg−−。1955年、新潟の三条実業高を2年で中退した“巨漢投手”が、巨人に入団しました。その名は馬場正平。現役引退後にはプロレス界に進み、ジャイアント馬場として一時代を築いた人物です。
※身長・体重は巨人軍が公表したデータによるものです。

 巨人時代、馬場が1軍で数字を残したのは1957年のみ。3試合、計7イニングに登板して0勝1敗、という生涯成績が記録されています。初先発した同年10月25日の中日戦では5回を5安打1失点に抑えたのですが、味方打線の援護なく敗戦投手に。相手先発の杉下茂が完封でシーズン10勝目を挙げ、通算200勝を達成した試合でした。

 2軍では2年目の56年に12勝1敗、57年に13勝2敗と好成績を挙げ、4年目の58年には10連勝して最優秀投手に選ばれた馬場。しかし当時の巨人は投手陣が充実して、チームも連覇を続けていた。若手にはなかなか、登板のチャンスが巡ってこなかったようです。

 結局、59年の11月、馬場は巨人から「戦力外通告」を受けます。それでも現役続行を希望して、翌年2月、大洋(現横浜DeNA)のキャンプにテスト生として参加。巨人のヘッドコーチだった谷口五郎が大洋に移籍した関係で、参加を促されたのでした。ところが、キャンプが始まって間もなく、馬場は風呂場で転倒して左腕を大ケガ。引退を余儀なくされたのです。

 このようにプロ野球での実績は乏しかったにも関わらず、プロレス界で活躍して以降も、巨人の投手だったことを誇りにしていた馬場。「プロレスで頑張ってこれたのは、2軍の時に多摩川グラウンドで死ぬほど走ったからだ」と振り返っていた馬場。そのことを僕に教えてくれた作家がいます。『馬場派プロレス宣言』をはじめ、ジャイアント馬場に関する著作が三冊もある栃内良氏です。


新・馬場派プロレス宣言 (栃内良・著/小学館文庫)

 僕は栃内氏と面識はないのですが、1998年、前回まで書いてきた苅田久徳さんの取材を終えたあと、『馬場派プロレス宣言』を編集した方と話す機会がありました。ちょうどその時期に『馬場派』が文庫化され、『新・馬場派プロレス宣言』と改題された一冊を薦められました。僕自身、特にプロレスファンではなかったものの、中学、高校時代とプロレスはいつもテレビで見ていたので、それなりの興味はありました。

 ページを開いてすぐ、文章中、これまでに読んだスポーツのノンフィクション作品もしくはエッセイ等々と、明らかに違う部分があることに気づきました。その違いは、読んでいる自分自身にとって心地よいものでした。
 違いが何かといえば、著者は一貫して、ジャイアント馬場のことを<馬場さん>と書いているのです。普通は<馬場>と書くところ、敬称を付けている。これについては著者自身、以下のように説明しています。

<−−前略−−それは何かというと、私がジャイアント馬場を書く時は“馬場”ではなく、“馬場さん”と“さん”付けにしてしまうことである。目の前でインタビューでもしているのなら、“馬場さん”と呼ぶのが普通であろうが、このような文章の中で“さん”付けで書くのは不自然な印象を持たれてもしょうがない。だがどうしても“馬場さん”になってしまう。>

 著者は、プロレスとジャイアント馬場を長年、愛し続けた人。3000試合以上も行いながら1試合も休まない生真面目さ、世界でも類をみない独特のプロレススタイル、誰でもゆったりさせてしまう表情、読書や絵画を趣味にしていること等々、<ジャイアント馬場をとりまくすべてを考えた場合、もうこれは到底“馬場さん”と呼ぶしかないのだ。>と書いています。

 また一方で著書は、“さん”付けに関してこうも書いています。『馬場派プロレス宣言』という本自体、ジャイアント馬場へのラブレター的な要素が強いため、“さん”付けのほうが効果的だろう、などと意図的に計算した上でのことでも決してない、<単なる私の習慣と言っていい>と。

馬場さんが、目にしみる (栃内良・著/飛鳥新社)

 読んで思い当たりました。一概に「愛情」とも言えず、習慣として“さん”付けになる−−ということは、根底にあるものは深い敬意だろうと。“さん”は敬称なんだから当たり前、と言われたらそれまでですが、あえて文章中で敬称をつけずにいられないほど、尊敬に値するプロレスラーはほかにいない、ということなのだと思ったとき、「伝説のプロ野球選手」も同じじゃないかと気づきました。

 書かれた当時の馬場さんが現役のプロレスラーだったこと、「伝説のプロ野球選手」がOBであることなど、いくつか違いはありますが、自分にはどうしても、[88歳の名人]苅田さんを「苅田」とは書けない…。[400勝投手]の金田正一さんを呼び捨てになんかできない…。無理して敬称略で書くこともできたけれど、無理をした時点で、実際に会いに行ったリアリティーが失われるとわかってやめました。

 以来、これまでに50人近く、「伝説のプロ野球選手」に会いに行って書かせてもらってきましたが、敬意を込めて、ずっと“さん”付けで通しています。それもきっかけは<馬場さん>だったので、今回、冒頭で<馬場>と書いているときには少し違和感がありました。

 次回は、日本のプロ野球で初めてシーズン50本塁打を超えたスラッガー、小鶴誠さんのことを書きたいと思います。


文=高橋安幸(たかはし・やすゆき)/1965(昭和40)年生まれ、新潟県出身。日本大学芸術学部卒業。雑誌編集者を経て、野球をメインに仕事するフリーライター。98年より昭和時代の名選手取材を続け、50名近い偉人たちに面会、記事を執筆してきた。10月5日発売の『野球太郎』では、板東英二氏にインタビュー。11月下旬には、増補改訂版『伝説のプロ野球選手に会いに行く 球界黎明期編』が刊行される(廣済堂文庫)。ツイッターで取材後記などを発信中。アカウント @yasuyuki_taka

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