2015年に引退するまで西武のエースとして活躍した西口文也。通算182勝を挙げた実績はさることながら、「悲運のエース」としても記憶されている。その理由は「ノーヒットノーラン未遂」を3度も起こしたからだ。
そのうちの1回は交流戦が舞台。交流戦初年度の2005年の出来事だった。5月13日の本拠地・インボイスSEIBUドーム(現メットライフドーム)で行われた巨人戦、西口は相手打線を9回2死まで死球による出塁のみに抑え、ノーヒットピッチングを継続。大記録達成まであと1アウトまで迫る。
そして“最後の打者”となるはずの清水崇行に対し、初球にファウルを打たせて大歓声。しかし2球目、内角スライダーがわずかに甘く入る……。次の瞬間には打球がライトスタンドに着弾。西口はあぜんとした表情を浮かべたあと、やがて苦笑い。放送席で解説していた東尾修・元西武監督も思わず笑いが止まらなかったそうだ。
今季の交流戦ではマレーロ(オリックス)が本塁打を放った際にしでかした「ホームベース踏み忘れ」が話題になったが、11年前にもベースを踏み忘れて本塁打が取り消される珍プレーがあった。
2006年6月11日のロッテ対巨人(千葉マリンスタジアム、現ZOZOマリンスタジアム)。3回表2死一塁から、李承?(巨人)が勝ち越し2ランを放つ。前年まで在籍したロッテに強烈な「恩返し撃」を見舞った……と思ったその矢先に三塁塁審からアウトの宣告が。
なんと、一塁走者の小関竜也が三塁ベースを空過しており、ロッテの三塁手・今江敏晃(年晶/現楽天)のアピールプレーが認められたのだ。
当然、原辰徳監督は抗議するも判定は覆らず、得点は無効に。李承?には単打が記録されたが、何とももったいない「幻の本塁打」となった。
2009年には歴史的な「打線爆発」があった。6月11日のロッテ対広島(千葉マリンタジアム)で、ロッテが1イニング15得点の日本記録を達成したのだ(奇しくも前述した小関「ベース踏み忘れ」と同じ日だ)。
当時のロッテの監督はボビー・バレンタイン。時代を感じさせる。
この15得点を文字で再現してみると、「左安→三飛→中安→右安(1点目)→四球→中安(2点目)→左安(3点目)→四球(4点目)→死球(5点目)→右安(6点目)→右二塁打(7,8点目)→右安(9,10点目)→中安→中安(11点目)→中安(12点目)→死球→遊ゴ失(13点目、タイ記録)→中犠飛(14点目、日本記録更新)→中安(15点目)→右飛(終了)」。
書いてみると、やはり長い。打者20人の48分間にわたる攻撃で15得点。12安打のうち長打は1本のみ。その1本を打った大松尚逸(現ヤクルト)は3度打席が回り、2度アウトを献上している。
2015年の交流戦はセ・リーグ球団にとって鬼門以外の何物でもなかった。交流戦開始前まで首位を快走していたDeNAが、わずか3勝しか挙げられず大失速。リーグ全体でも44勝61敗(3分)と大きく負け越し、1位から5位をパ・リーグ勢に独占された。
そして、交流戦終了直後の6月23日。セ・リーグから「貯金」の文字がなくなった。
交流戦であまりに負けすぎたため、1位の巨人、2位の阪神はかろうじて勝率5割を保つも、それ以外の4チームは借金生活。全チームが貯金なし、という異例の事態が起こったのだ。
「拮抗した展開」といえば聞こえはいいが、「どんぐりの背比べ」といいたくなる散々な状況だった。
この出来事はセ・リーグファンにとって、トラウマ以外の何物でもない。一方、パ・リーグファンはさぞかし留飲の下がる思いをしたことだろう。
最後は昨季の交流戦で起こった珍場面から。
6月14日の巨人対楽天(東京ドーム)。楽天が1点リードの7回無死一塁、楽天の1番・オコエ瑠偉が放った打球はライト方向へのファウルフライ。右翼の長野久義が捕球態勢に入ろうとした刹那、エキサイトシートからグラブが伸びてきた!
そのグラブを持った観客は打球を捕るも、そのまま回転しながらグラウンド上に落下してしまった……。
打ったオコエは狐につままれたような表情をし、梨田昌孝監督は審判に確認へ。打球を横取りされた長野は神妙な表情を浮かべた。
審判の判定は「守備妨害」でアウト。野球規則3.16の【付記】には「観衆が飛球を捕らえようとする野手を明らかに妨害した場合には審判員は打者に対してアウトを宣告する」とあり、これが適用されたことになる。
多少の新鮮味はなくなったとはいえ、普段とは違う対決の連続で今もペナントレースの「スパイス」となっている交流戦。真剣勝負だからこそ起こる珍プレーや珍場面もまた、語り継いでいきたいものだ。
文=加賀一輝(かが・いっき)