25年ぶりのリーグ制覇へまっしぐら! 『広島東洋カープ大事典』とともにカープ創設初優勝を振り返る
2016年は赤ヘルブーム再来の年――。セ・リーグのペナントレースを広島東洋カープが席巻している。
7月下旬にもかかわらず、すでに「マジック点灯か!?」という新聞記事が掲載されるほど、他チームを圧倒。本拠地・マツダスタジアムには連日大観衆が訪れ、スタンドを真っ赤に染めている。
また、ビジター球場にも多くのカープファンが駆けつけ、チームを後押し。もはや全球場がカープの本拠地なのではないかと錯覚してしまうほどだ。
8月の連載は2014年に発行された『野球次郎 広島東洋カープ大事典VOL.1』をもとに、カープの過去と現在を結び付けてみたいと思う。
同書の表紙は、劇画タッチのイラストで描かれた江夏豊と衣笠祥雄というド迫力のツーショット。内容をみると、球団創設からの歴史を多彩なエピソードで振り返ることができる。「あの頃」を懐かしみたい人やこれからカープの歴史を勉強したいと思う人におすすめだ。
連載第1回の今回は、1975年に達成した初のリーグ制覇を振り返ってみよう。
「赤は戦う色」ルーツの教え
カープといえばやはり「赤ヘル」のイメージが強いだろう。その始まりは1975年のこと。そう、球団創設25年目で初優勝を果たしたあの歴史的シーズンのことだった。
この年に就任したジョー・ルーツ監督はチームに染み込む負け犬根性を叩き直すため、「赤は戦う色だ!」とユニフォームを変更。若く伸び盛りの選手が多いチームを鼓舞した。
ルーツ監督はわずか15試合で監督の座を退くも、それを引き継いだ古葉竹識監督が「ルーツの教え」をそのままにナインをけん引。5月17日に首位に立つと、オールスターでは主軸の山本浩二と衣笠が2打席連続アベックアーチの快挙。全国の野球ファンに向けて、赤ヘル軍団のアピールに成功した。
徐々にヒートアップし、ついにXデーを迎える
後半戦が進むにつれて、地元・広島の街はヒートアップ。子供たちは誰もが赤い帽子をかぶり、スーパーはカープが勝つと割引セールを展開。ネオン街のBGMも演歌からカープ戦の中継や応援歌に切り替わったという。
9月に行われた中日との首位攻防戦では、タッチプレーを巡って両軍が大乱闘。数百人のファンも加勢し、翌日の試合開催を不能にしてしまうほどエネルギーが充満していた。
想いが結実したのは10月15日の巨人戦。敵地・後楽園球場にもかかわらず、スタンドは赤い帽子のカープファンと広島名物・しゃもじを鳴らす「カチ、カチ!」という音に包まれていた。
試合は1-0の最少得点差で終盤まで進むと、最終回にゲイル・ホプキンスが値千金の3ラン! のちに衣笠が「日本人は(プレッシャーで)いっぱいいっぱいの中で、ああいう働きができるのが外国人」と絶賛する一撃で、相手を突き放した。
最後はアンダースロー・金城基泰が柴田勲をレフトフライに抑え、ゲームセット。ウイニングボールは当時7番を打っていた水谷実雄がつかんだ。マウンド上に歓喜の輪ができ、スタンドからは紙テープが降り注ぐ。
試合後のインタビューで、山本が「やったぞ〜!」とありったけの感情をマイクに乗せたのも感涙もの。その言葉がナイン、球団、ファン、ならびに広島市民の想いを代弁していたのだから。山本はこの年、キャリア初のタイトル・首位打者とリーグMVPを獲得する。
以後10年間で4度の優勝、2度の日本一に輝くことになるカープの黄金期は、この時始まったのだ。
文=加賀一輝(かが・いっき)
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