大井監督は新潟文理(当時)の監督に就任したのは1986年のこと。就任5年目の1990年から2年連続で夏の新潟大会ベスト4、1993年には初めて決勝に進出と甲子園を狙えるレベルにまで野球部を強化してきた。そして1997年、前年の優勝校・中越を4対2で破り、初の甲子園出場を決める。
甲子園で対戦したのは和歌山の強豪・智辯和歌山。日本文理は智辯和歌山の先発・高塚信幸(元近鉄)から初回に2点、2回に3点を奪い、2回表を終えて5対0とリードする。しかしその裏、智辯和歌山の反撃に遭い、一挙6点を失い5対6に。すかさず3回表に同点とするも、3回裏に勝ち越されて、試合は智辯和歌山のペースとなる。
強豪相手になんとか食らいつきたいところだったが、5回裏に6失点。以降は毎回失点を喫し、6対19で敗れた。その後、勝ち進んだ智辯和歌山はその強力打線を武器に全国制覇を達成する。大井監督が「甲子園は、打てなくては勝てない」と実感した試合となった。
その後、日本文理は2002年夏、2004年夏と甲子園出場を果たすも、いずれも初戦敗退に終わる。2006年にはエース・横山龍之介(元阪神)を擁し、センバツでは2勝を挙げベスト8に進出。初の春夏連続出場を決め甲子園に乗り込んだが、香川西(現四国学院大香川西)に敗れ、夏の甲子園初勝利はならなかった。
そして2009年夏の甲子園。初戦の藤井学園寒川戦に4対3で勝ち、5度目の出場で待望の夏の勝利を挙げると、続く日本航空石川に12対5、立正大淞南に11対3で勝利。打線が2試合連続2ケタ得点を挙げ、ベスト4に進出。準決勝の県岐阜商戦はエース・伊藤直輝が好投。2対1で勝ち、ついに決勝進出を果たした。
中京大中京との決勝戦では5回を終えて2対2の同点と、強豪相手に臆することなく渡り合う。しかし、6回裏に一挙6点を失うなど点差を広げられ、8回を終えて4対10。「日本文理、よく戦った」というねぎらいの空気が甲子園を支配する。
9回表の日本文理の攻撃は2死走者なし。ここで日本文理の1番・切手孝太が四球で出塁し、流れが変わり始める。そこから連続タイムリーで2点を挙げ6対10。さらに2つの四死球で2死満塁となり、打席には6番の伊藤。「伊藤コール」が甲子園に響くなか、レフト前へ2点タイムリーを放ち、点差は2
点に。続く代打の石塚雅俊も初球を振り抜きタイムリーに。ついに9対10と1点差に迫る。
異様な雰囲気のなか、8番の若林尚希が鋭いライナーを放った。しかし、打球は中京大中京の三塁・河合完治のグラブに収まりゲームセット。日本文理は敗れたものの、その驚異的な追い上げは全国の高校野球ファンに「新潟に日本文理あり」と強く印象づけた。
2009年夏の甲子園準優勝世代よりも能力は上、と言われてきたのがエース・飯塚悟史(現DeNA)を擁した2014年のチームだった。2013年の秋に明治神宮大会で準優勝。2014年夏に3季連続で甲子園出場を果たした。
初戦の大分戦では2年の星兼太が本塁打を放つなど5対2で勝利。続く東邦戦にも勝利すると、富山商戦では新井充がサヨナラ本塁打と「打の日本文理」を印象づける戦いで勝ち上がる。準々決勝の聖光学院戦も5対1で勝利し5年ぶりのベスト4に。全国制覇への期待が高まっていく。しかし、準決勝の三重戦で無得点に抑えられ0対5で敗れた。
この2014年夏の甲子園ベスト4を見て、日本文理に入学したのが今の3年生たち。日本文理にとって3年ぶりの甲子園となるこの夏、大井監督最後の花道とあって注目を集めそうだ。
文=武山智史(たけやま・さとし)