その上でプレーは……というと、時にはマウンドにも登ったがショートとしての守り、広角へのライナー性を得意としたバッティング。しなやかな印象を残すプレースタイルからは、器具を使わず自体重を利用し鍛えてきた、という西田の言葉が重なってくるものだった。
かつ、腹筋は誰よりもやっています、とも話していたが、インパクトやリリースの瞬間に“フンッ!”と力がこもる一瞬があった。パワーの集め方、出し方が上手い選手という印象が強い。確か5月、関西大と関学大の大学のリーグ戦が行われる前に“プレマッチ”として関大一と関西学院の試合があった。そこで甲子園のライトへ放り込んだこともあったが。体の印象より飛距離も出せ、投げる球にも強さがあった。
当時、同じ大阪では、先に注目集めていた選手に金光大阪の陽川尚将がいた。ドラフトでは巨人からの育成指名を断り、東京農業大を経て、現在は阪神でプレーする陽川は、パワーと“鬼肩”が売りの選手だった。同じショートでもタイプは対照的。
その陽川と西田が3年夏の大阪大会、5回戦でぶつかった。春が終わり、陽川はサードを守るようになっていたが、ともに4番を打ち、チームの要。注目が集まる中、その試合では陽川がレフトへの3ラン、9回にはリリーフした西田から猛打賞となるタイムリーと活躍。試合を決めたかに思えたが、その裏、西田もショート強襲のタイムリーで意地を見せた。現在、巨人の育成で野手としてプレーする永江翔太の外へのスライダーを痛烈に引っ張った打球は西田の踏み込みの良さを示す一打でもあった。
2点差まで詰め寄り、さらに1死一、二塁と場面は変わり、ここから印象的なラストへつながっていった。次打者のフルカウントからの1球で2人の走者がスタート。すると打者は空振り三振、さらに二塁走者の西田が三塁でタッチアウト。一瞬にしてゲームが終わったのだ。
人生初の三盗失敗で、しかも頭から突っ込んだ際の手先にタッチしたのは陽川。ストップウオッチでタイムを計るより、人間ドラマが大好きな僕にとっては、まさに“ドストライク”でのラストだったが、ここで西田の高校生活も終わったのだった。
ドラフトで楽天から2位指名を受けたことには正直、驚いたが、動きの良さが光り、大きな可能性を託したくなる選手だったことは確か。山田哲人(ヤクルト)や浅村栄斗(西武)らと同じく、3年になりどんどん目立ち始めた選手で、その成長力がプロにとっても大きな魅力だったのだろう。35本前後のホームランも約30本は2年秋以降に積み上げたもの。当時の監督は「以前は苦労していた投手とのタイミングを掴むようになって結果が大きく変わった」と話していたが、本人は「金本選手(知憲/元広島ほか)を参考にしていた足の上げ方を、昔のイチロー選手(マーリンズ)の振り子打法みたいにしたら合った」と話していた。