1996年の広島は、前年にトリプルスリーを達成した野村謙二郎を筆頭に、打点王のロペス、4番の江藤智、50盗塁で盗塁王の緒方孝市、初めて打率3割に到達した金本知憲、そして前年のアキレス腱断裂から復帰した前田智徳らタレント豊富な打撃陣を擁した。
投げては紀藤真琴が先発の柱となりチーム勝ち頭の12勝。抑えの佐々岡真司が23セーブと結果を残した。
この年、チームは開幕から尻上がりに調子を上げ、6月1日には中日に代わって初めて首位に立った。5月に続いて勝ち越した6月も首位をキープしていたが、最初のつまづきが7月9日、札幌円山球場での巨人戦だった。
9連勝中の広島だったが、この試合の2回に9者連続安打を許すなど一挙7点を失う。この大量失点が影響し8対10で敗れ、連勝がストップ。嫌な負け方だったが、それでも前半戦は2位・中日に5ゲーム差の首位で終える。
しかし、オールスターゲームの中断期間を挟み5連敗を喫すると、8月にも4連敗と負けが込み、8月19日の中日戦に敗れ一気に3位転落。その後、再び首位に立つも、追い上げる巨人に首位の座を許してしまう。
9月には6連勝とまたもや盛り返すが、6連敗、4連敗と連敗が続き失速。中日にも追い抜かれ、最後は3位でシーズンを終えた。
前述した7月9日の一戦で勢いを得た巨人は、そこから快進撃を続け逆転優勝。最大11.5ゲーム差をひっくり返したこの逆転劇は、今でも「メークドラマ」として語り継がれている。
1998年の日本ハムは「ビッグバン打線」と呼ばれる強力打線が最大の売りだった。1番に田中幸雄を置き、中軸に座るのは片岡篤史、ブルックス、ウィルソン(この年、本塁打王と打点王)。また、落合博満を控えに追いやり、この年、20本塁打をマークした西浦克拓と強打者が揃った。その一方で、奈良原浩、金子誠という名脇役の活躍も光った。
この年、日本ハムは5月に首位に立つとそのまま首位をキープし、前半戦を首位で折り返す。
しかし、雲行きが怪しくなってきたのは8月だった。それまでずっと月間で勝ち越してきたが、8月に入ると引き分けを挟んで9連敗を喫するなど黒星が続き、6勝14敗とシーズンで初めての負け越してしまう。
この失速により9月になると日本ハム、近鉄、西武、ダイエーの4球団による優勝争いが繰り広げられ、日本ハムの快走から一転、ペナントリーグは混戦模様となっていく。
最終的には日本ハムと西武の争いとなり、直接対決となった10月2日のダブルヘッダーで西武が連勝。翌3日は引き分けで終わる。日本ハムはさらに7日のロッテとのダブルヘッダーでも連敗し、西武の優勝が決まった。
最終的に日本ハムは西武に3.5ゲーム差の2位でシーズンを終えた。
記憶に新しい大失速は、2015年のDeNAが首位から最下位へと転落した「天国と地獄」だろう。
前年まで2年連続で5位だったDeNAは2015年、開幕からの15試合を9勝6敗と勝ち越すと、5月には6連勝、5連勝と快進撃。勝ち星を伸ばし、球団がDeNAになってから初の首位に立った。
ところが、交流戦に入ると状況が一変する。6月には10連敗を喫し交流戦は最下位。セ・リーグでは3位に転落してしまう。しかし、前半戦の最後を4連勝で締め、再び首位に立って前半戦を終える。
しかし、後半戦は序盤から2度の4連敗があり、7月終了時点で一気に5位まで順位を下げる。チーム状況はなかなか好転せず、8月26日にはついに最下位に。中日と最下位争いを繰り広げ、62勝80敗1分の最下位でシーズン終了。中畑清監督が辞任する結果となった。
文=武山智史(たけやま・さとし)