「高校野球」「甲子園」といって思い浮かべるさまざまな風景。その中でも、試合終了の校歌斉唱シーンを挙げる人は多い。近年はJ-POP調の校歌がネットで話題になる一方、古豪や名門校の校歌を久しぶりに聞きたい、というオールドファンも多いはずだ。そんな「校歌斉唱」の歴史を紐解いてみよう。
甲子園大会で「校歌斉唱」が実施されたのはセンバツが先。1929年の第6回選抜中等学校野球大会から採用された。勝利校に校歌斉唱を、と提案したのは、日本人女性初の五輪メダリストである人見絹枝さん(故人)だ。1928年のアムステルダム五輪で陸上・女子800メートルに出場し、銀メダルを獲得した人見さんは、表彰式で金メダルを獲得した選手の国家が流れたことに、いたく感銘。その体験をもとに甲子園での校歌斉唱を提案し、翌春のセンバツから採用されたのだ。
一方、夏の大会で導入されたのは、遅れること28年後の1957年から。そして、勝利校の校歌斉唱が定着すると、高校野球で勝つことを「校歌を歌う」と表現されるようになった。
しかし、せっかく厳しい地方大会を勝ち抜いて甲子園の舞台に立っても、出場校の半分は校歌を歌えぬまま甲子園を去らなければならなかった。そこで1999年のセンバツからは、2回表と裏に両校の校歌を場内放送で流すことが慣例化。以降は春・夏を問わず、全ての甲子園出場校の校歌を耳にすることができるようになった。
ちなみに、世の中には校歌をもたない高校がいくつか存在する。もし、校歌がない高校が勝利した場合、校歌斉唱はどうなるのか? 答えは明確に規定されていて、大会歌である「栄冠は君に輝く」が校歌の代わりとして演奏される決まりになっている。