現在、セ・リーグトップの12勝をマークし、前田健太(ドジャース)に代わり先発陣の柱に成長した広島・野村祐輔。今月に左肩骨折から復帰した巨人・小林誠司。この2人は広島の強豪・広陵高の同期だった。岡山出身の野村と大阪出身の小林はともに越境で広陵高に入学。元々は投手だった小林は捕手にコンバートされ、野村とバッテリーを組むことになる。
野村-小林のバッテリーで思い出されるのは、彼らが高校3年の夏の甲子園だ。勝ち進んだ広陵高は、決勝で佐賀北高と対戦。8回表まで4対0とリードし、全国制覇へと一歩ずつ近づいていく。
しかし8回裏、1死満塁のピンチで押し出し四球で1点を許し、続く打者・副島浩史に満塁弾を浴び試合をひっくり返される。結局、9回表の反撃も届かず悔しい準優勝となった。
その後、野村は明治大に入学しエースとして活躍。2011年のドラフトで広島から1位指名を受け入団。一方、小林は同志社大、日本生命を経て2013年に巨人のドラフト1位で入団を果たした。
その野村、小林と同学年になるのが、巨人のエース・菅野智之と広島の1番バッター・田中広輔。ふたりは神奈川の名門・東海大相模高の同期だ。2年春にチームはセンバツに出場。田中はレギュラーとして甲子園の土を踏んだが、菅野はメンバー外だった。2年秋の新チームから菅野はエースとなり、チームを引っ張っていく存在になっていく。
高校3年夏、神奈川県大会の準決勝・横浜高戦では4回に菅野の「振り逃げ3ラン」という珍しいプレーもあって決勝へ進出。しかし、桐光学園高に敗れ甲子園出場はならなかった。
ふたりは高校卒業後、そのまま東海大へ進学。大学選手権で準優勝2回、明治神宮大会で準優勝1回の成績を残す。菅野は、2011年のドラフト会議で日本ハムから1位指名されるも入団を拒否。浪人を経て翌年、伯父・原辰徳が監督を務める巨人に入団する。一方、田中はJR東日本へ進み、2013年のドラフト3位で広島に入団を果たした。
前出の「振り逃げ3ラン」のとき、対戦相手の横浜高にいたのがDeNAの倉本寿彦と筒香嘉智だ。この試合で、2年生だった倉本は途中出場、筒香は1年生ながらスタメン出場していた。
新チーム結成後、倉本はショート、筒香はサードとなった。ふたりは三遊間を組み、明治神宮大会で準優勝。しかし、優勝候補の一角に挙げられた2008年のセンバツでは、初戦で北大津高に敗れた。
そして同年夏、倉本はサードに入り、筒香はファーストへ。この夏の甲子園は第90回の記念大会で、神奈川には2つの出場枠が設けられていた。横浜高は南神奈川大会を順調に勝ち進み甲子園へ出場。初戦から浦和学院高、広陵高、仙台育英高と強豪を次々と撃破し、準々決勝の聖光学院高戦では筒香が2本塁打、8打点と大暴れ。しかし準決勝ではこの大会で優勝する大阪桐蔭高に4対9で敗れ、ベスト4に終わった。
翌2009年秋、筒香は横浜(現・DeNA)にドラフト1位で入団。倉本は創価大を経て日本新薬に入り、守備力の高いショートとして評価を高める。そして、2014年のドラフト会議でDeNAから指名を受けプロ入り。筒香と再びチームメートとなった。
今年、プロ2年目の倉本は開幕から高い打率をキープし、打撃開眼。チームの主砲・筒香とともにDeNA打線を引っ張る存在に成長した。DeNAの本拠地はふたりが高校時代に慣れ親しんだ横浜スタジアム。今後のさらなる活躍は見逃せない。
文=武山智史(たけやま・さとし)