いよいよ8月6日の開幕日が迫ってきた夏の甲子園。各代表校の顔ぶれも続々と明らかになってきた。どのチームにも持てる力を余すことなく発揮してもらいたいが、パフォーマンスを阻害する1つの要因がやはり天候問題だ。昨年の大会も台風の影響で開幕日が2日ズレるという波乱の幕開けだったことは記憶に新しい。よほどの優勝候補でもない限り、初戦にコンディションのピークを持ってくるもの。開幕がズレるというのは心身ともに相当なプレッシャーだったはずだ。
そんな球児たちの不安を一掃してくれたのが甲子園球場の守り人、阪神園芸。大雨の後にもかかわらず、開幕日の甲子園球場は素晴らしいグラウンドコンディションで球児たちを出迎えてくれた。過去にも雨に悩まされた大会はあるが、その都度、素晴らしい技でグラウンドを整えてきた阪神園芸目当てのファンも意外に多い。
もっとも、阪神園芸が甲子園球場のグラウンド整備に携わるようになったのは1979年から。それ以前の記録を調べると、とんでもないグラウンド整備方法が採用された時代があった。
その整備方法とは、グラウンドにガソリンをまき、火をつけることで水分を蒸発させようというもの。初めて採用されたのは1928年の第14回大会、準決勝・高松中対松本商の試合前だった。水はけが現代ほど高水準ではなかった時代。前日まで2日連続の雨から、ようやく天気が回復したものの、まだグラウンド状態は悪く、水たまりも散見された。そこで甲子園史上初めて、グラウンドにガソリンがまかれて火がつけられたのだ。
だが、見た目のインパクトとは裏腹に実際の効果はいまひとつ。グラウンド表面の熱気が地下の水分まで吸い上げ、かえってグラウンドコンディションは悪化させてしまった。この方法は昭和20年代前半までしばしば採用され、その都度、球場内には黒煙が立ちこめる事態に。ただ、この黒煙が見たいという奇特なファンもいたようで、球場サイドも止めるに止められなかったとされている。