谷上氏が寺島を初めて生で見たのは、寺島が高校1年の夏。大阪大会の準決勝、大阪桐蔭戦でのこと。初回に5失点を喫した2年生のあとを受けて寺島は登板し、2回から8回までを1失点で投げ切るという好投をみせた。
当時の寺島の印象は、「体格、マウンドさばきともに1年夏とは思えない。しかし投げるボールにすごみや衝撃は感じない」というもの。
その後も寺島の試合を観戦し、類まれな能力については確信していたが、超高校級の力を発揮しだしたと感じたのは最後の夏を迎えたころ。それまでは、「もっと驚くボールを投げられるはずなのに……。その日がいつ来るのだろう」という気持ちだった。
中学時代の寺島は、ボーイズリーグ日本代表のエースとして世界一を経験。「ボーイズリーグに寺島あり」と言われる存在だった。
履正社には「5回全部甲子園に行くつもり」で進学。当時の履正社はセンバツで準優勝していたこともあり、噂のサウスポーの加入でさらなる躍進が期待されていた。
しかし期待とは裏腹に、寺島入学後の履正社は4季連続で甲子園を逃してしまう。そこで最後の夏に出場するため、寺島が取り組んだのが、勝ちきれるエースになるためのストレートのレベルアップだった。
2015年の夏から秋にかけて、寺島は2016年のドラフト候補として評価を高めていた。しかし谷上氏はこの時点では、実力よりも評価が先行している感を否めなかったという。
なぜかというと、当時の寺島のストレートが田中将大(ヤンキース)ら、近年の高卒ドラフト1位選手の2年時のストレートと比べて物足りなく映ったため。
しかし、2016年の春に寺島自身がストレートの質の変化を口にしたことで、大きな期待が膨らんでいく。
春の戦いではそこまでの違いは感じられなかったものの、夏は見た目にも、球速でもストレートの質が向上したことがわかり、世間の評価に寺島のボールが追いついたことを実感した。
2016年夏、寺島はついに甲子園出場を果たす。「高校BIG3」と注目され、優勝候補同士の一戦となった横浜戦も制した。秋の国体を経て迎えたドラフト当日、谷上氏は履正社に赴き、運命のドラフトの行方を見守った。
ドラフト前の取材で、寺島は「外れじゃない1位で指名されたい」と口にしていたが、谷上氏の想定は8割方「外れ1位」。
T-岡田(オリックス)、山田哲人(ヤクルト)のように、「履正社出身の外れ、もしくは外れ外れ1位」はある意味で成功の法則と言えるからだ。そのため「どういう形でプロに入るか」より、「どこへ進むか」に興味があったそう。
また谷上氏は、前田健太(ドジャース)を育てた広島のように1年目はファームでじっくりと鍛え、2年目に1軍で頭角を現し、3年目でローテーション入りを目指すとういうふうに、段階的に育成してくれるチームが寺島に合うと考えていた。
そのため、即戦力投手を欲するヤクルトの単独1位指名には驚きを隠せなかったという。履正社の先輩である山田が所属していること以外、寺島を必要として指名するイメージが湧かなかったからである。
ドラフト時点で寺島が持っているものと持っていないもの。
まず持っているものは、谷上氏いわく高校レベルではあるが絶対的な安定感。技術やメンタルなどが不安定な高校生にあって、常に結果を残し続けてきたことは、寺島の最大の長所があってのものと言える。
一方で持っていないもの、1年目からプロで活躍するのに足りないと思うものは、ボールそのものの質。ストレートの質はこの夏で確かに向上したが、プロ1年目から活躍できるところまでは達していない。
だからこそ、1年目にこだわらなければ、寺島の活躍は大いに期待できる。ストレートに関しても、課題意識を持ち続けていけば、2年目、3年目には劇的に質を高められるという見立てがあるからだ。
そのためにも寺島自身のレベルアップに腰を据えて取り組める環境が、1年目に整っているかが気になるところ。果たして寺島は、プロでどのようなスタートを切るのだろうか。
(※本稿は『野球太郎No.021』に掲載された「28選手の野球人生ドキュメント 野球太郎ストーリーズ」から、ライター・谷上史朗氏が執筆した記事をリライト、転載したものです。『野球太郎No.021』の記事もぜひ、ご覧ください)
文=森田真悟(もりた・しんご)