ホークスで最も長く背番号9を背負った男は堀井数男。
1943年に南海軍(後の南海)に入団。1946年より背番号9を背負い、この年は5番・左翼で出場。チームの初優勝(当時の球団名はグレートリング)に大きく貢献した。
なお、球団名が「南海ホークス」となったのは、翌1947のことだ。
堀井は16年間の現役生活で1557試合に出場し、1513安打をマーク。引退翌年の1960年からは2軍コーチに就任。現役、コーチ時代を通して20年間、背番号9を守り続けた。
ダイエーとなり、本拠地を福岡に移したホークス。福岡で最初に背番号9を背負ったのはトニー・バナザードだ。
南海ラストイヤーの1988年にホークス入りしたバナザードは、いきなり28試合連続安打を記録し、当時の外国人選手連続安打記録を更新。打率.315をマークするなど大活躍を見せた。ダイエー元年の1989年も34本塁打。8月に月間MVPに輝くなど打線の中軸を担った。
しかし、バナザードと言えばその勝負強い打撃よりも。暴れん坊のイメージの方が強い。1988年には退場3回という当時のシーズン最多退場記録を作った。
ちなみに、自分がデッドボールをぶつけられた試合での退場や警告処分は1度もなく、すべては同僚への危険球に対し怒り、暴れまわったもの。実は仲間思いの選手だったのだ。
1991年から背番号9は内之倉隆志が背負った。鹿児島実時代に甲子園で活躍し、1990年のドラフト2位で入団。高卒ながらルーキーイヤーに1軍出場を果たすなど将来が期待されたが、12年間で1軍出場は118試合に終わった。2002年に引退し、現在はブルペン捕手。裏方としてチームを支えている。
1994年からは小久保裕紀がホークスにおける背番号9の代名詞的存在となる。
入団2年目の1995年に本塁打王、1997年には打点王に輝き、1999年には4番としてチームを引っ張り、ダイエーを初の日本一へと導いた。
2003年オフ、ホークスの黒歴史として残る「無償トレード」で巨人に移籍するも、3年後に、ソフトバンクにFAで復帰。3年間空位だった背番号は再び小久保のものとなった。
2000本安打を達成した2012年に引退。最後の試合はクライマックスシリーズ、札幌ドームでの日本ハム戦。試合終了後、敵地ながら両軍ナインに胴上げされユニフォームを脱いだ。
そして、2015年からは小久保自らが「後継者」と指名した柳田悠岐が背番号9番を背負う。
同年、打率.363、34本塁打、99打点といずれも自己キャリアで日本一に貢献。トリプルスリーも達成する。三冠タイトルのなかで小久保が唯一獲れなかった首位打者も獲得。MVPにも選ばれた。
小久保はミスターホークスとして16年間、背番号9を背負い、ファンを魅了した。今季で背番号9を背負って3年目となる柳田は、この先何年、ミスターホークスとして活躍し続けるだろうか。
文=溝手孝司(みぞて・たかし)
札幌在住。広告代理業を営みながら、ライター、イベントなどスポーツ関連の仕事もこなす。生まれも育ちも北海道ながら、ホークスファン歴約40年。