現在、他球団に人的補償として選手を流出させた数は、読売ジャイアンツの9人が最多となる。巨大戦力巨人で埋もれていた若手が、移籍を期に注目を浴びるケースは否応なしに多い。
2014年に大竹寛の人的補償で、広島東洋カープに移籍した一岡竜司は初年度からセットアッパーとして大車輪の活躍を見せオールスターゲームにも出場。人的補償選手の中でも上位にくる移籍成功者の一人と言えるだろう。
同じく巨人からは2015年に奥村展征が、相川亮二の人的補償で東京ヤクルトスワローズに移籍した。
若干19歳、2年目内野手の移籍は当然人的補償最年少。2年目での移籍という数奇な野球人生には世間的にも注目を浴びた。そんな奥村だが、2015シーズンはケガに泣かされ、1軍はおろか、2軍でもわずか26試合の出場と精彩を欠いた。しかし秋季練習には復帰しており、今年の飛躍に期待されている。
今や、最強チームの名を欲しいままにしている福岡ソフトバンクホークス。積極的なFA補強と人的補償での痛みを超え、現在の強さを手に入れてきたのは紛れも無い事実。
その中において、2013年に寺原隼人の人的補償で移籍した馬原孝浩が、移籍を知らされたのは、なんと寺原との合同自主トレの最中であった。この残酷な偶然には多くのファンが驚いた。
これら人的補償による最大の成功例と言えるのは、2008年石井一久の人的補償で西武ライオンズから東京ヤクルトスワローズに移籍した福地寿樹がそれにあたるだろう。
入団した広島、トレードで移籍した西武では、走力に定評のある選手ではあったが、レギュラーとして定着するには至ってはいなかった。
その福地がスワローズ移籍1年目の2008年に初めて規定打席に到達。打率.320、9本塁打、61打点と大ブレイクした。さらには42盗塁をマークして、初の盗塁王を獲得したのだ。
プロ15年目にしての快挙に、本人は元よりファンは大熱狂した。この福地の活躍を見る限り、人的補償で移籍した選手に対する可能性を感じずにはいられないだろう。
通常のトレードに比べ、否応なしに注目を浴びる事となる人的補償移籍選手。移籍選手たちはこのチャンスを掴み取るべく、また、自身をプロテクトしなかった前所属球団を見返すためにも燃えるはずだ。そのあらわれが近年、多くの成功者を生んでいるのではないだろうか?
様々な人間ドラマと、移籍を期に開花する選手たち、オフシーズンの一大行事を今後も注目していきたいと思う。
文=井上智博(いのうえ・ともひろ)