「君コン」で取り上げられる選手と比べると遥かに実績を残しているが、「まだまだこんなもんじゃない!」と言いたいのは、2014年から2年半にわたってロッテの主砲を担ったアルフレド・デスパイネだ。
2017シーズンはソフトバンク入りが確実視されているが、あらためてデスパイネのこれまでの足跡をたどってみたい。
2004年に18歳でプロ入りを果たしたデスパイネ。キューバリーグではこれまで打率3割を切ったシーズンはなく、2011-2012シーズンには国内リーグ歴代最高の36本塁打をかっ飛ばしている。
2013年のWBCではキューバ代表に選出され、1次ラウンドではド派手な3ランをぶち込み、強豪・日本を撃破。まさに「キューバの至宝」と呼ぶに相応しい大スターである。
そんなデスパイネのロッテ入りが決まったのが2014年7月。2013年からキューバ人選手の国外派遣が進められるなかでロッテが大物をゲットした形だが、前評判は決して高くなかった。
その理由はこれまで来日した「キューバの至宝」たちがあまりにも期待外れだったからにほかならない。
2002年から2004年まで「コーチ研修」の名目で来日したオマール・リナレスは中日での3年間で打率.246、11本塁打と冴えない成績に終わっていた。また、2014年4月に、デスパイネに先駆けて来日し、巨人入りを果たしたフレデリク・セペダも日本球界に順応できず。同年6月にDeNAでデビューしたユリエスキ・グリエルは絶好調だったが、デスパイネとは体格が大違い。
どちらかといえば、巨漢大砲のデスパイネは「セペダ」の系譜。希望を持てるほどの材料は揃っていなかった。
デスパイネは2014年7月末の日本ハム3連戦で1軍デビュー。来日初打席はセンター方向に高々と打ち上げた打球を陽岱鋼(日本ハム)が見失い、ラッキーな三塁打で球場を沸かせたが、この3連戦は13打席で6三振。落ちるボールに簡単にやられ、ヒットは初打席での1本のみ。「やっぱりな」とファンをガッカリさせたのだった。
しかし、8月に入るとデスパイネはその予想を軽々と覆していった。キューバでの輝かしいを持ちながらも「日本での自分のスタイル」を模索しはじめたのだ。
「新しい経験」「新たな挑戦」と言わんばかりにボールをしっかりと見極めるスタイルにチェンジ。一見、振り遅れのようだったが、それがデスパイネのパワーを持ってすれば「後の先」。見事にハマった。
2014年は45試合の出場ながら、打率.311、12本塁打をマーク。怪物スラッガーの登場となった。
翌2015年は103試合に出場し、打率.258、18本塁打、62打点の成績。2年目の猛マークに遭い、少し勢いに陰りが見えた印象だった。
しかし、2016年はほぼ4番に座り、134試合で打率.280、24本塁打、92打点。すべての数字で前年を上回った。第二の壁を乗り越えたといえるだろう。
これもデスパイネの熱心な性格が為せる業だ。冬場は日本プロ野球はシーズンオフだが、デスパイネは母国でも試合がある。
キューバではスポーツ省の公務員という立場。2015-2016年は、キューバ国内リーグは疲労もあって免除されたが、それでもカリビアン・シリーズには出場するなど、デスパイネのシーズンオフはほとんどないに等しい。
それでも常に全力プレーを心がけ、練習熱心、そして勉強熱心。8月に福島県いわき市で開催された第3回WBSC U-15ベースボールワールドカップでは母国・キューバU-15代表チームの応援に駆けつけ、後進に勇気を与えた。
疲労の蓄積は甚大だろうが、それを乗り越える男気、パーソナリティーは誰もが応援したくなる。それが男・デスパイネである。
体は大好きなビールで重量感たっぷりだが、意外(?)にもまだ30歳。底はまったく見えない。
初のタイトル獲得へ。デスパイネが日本球界でレジェンドになる日は近い!
文=落合初春(おちあい・もとはる)