まずは衝撃のタイトル「君は王貞治になれるか」。はい、なれません。「あんなに偉大な王さんになれるわけないだろう。」と、前回の荒川道場で日本刀を振り回して練習していたことに続いて、またしてもツッコミを入れてしまうが、本書を読み進めていくと断言できる。「人間・王貞治」についてこれほど赤裸々に、また正確に書かれた野球古本は無いであろうと。それは選手・監督などの現場を離れた現在でも、日本野球界にとって無くてはならない、むしろコミッショナーは王さんで良いのでは? などの声があがるまでの人間力を持った王さんの「人間哲学」に触れることができる一冊だ。
前回紹介した「殺気の中に王がいた」は荒川道場での経緯に焦点を当てた読み物だったのに対して、本書は荒川博と「五十番のチャー坊」と呼ばれていた幼少時代の王との出会いから、中学・高校と密着して野球指導を行い、両親を説得させてプロ入りさせ、そしてプロ野球界で花開くまでの、いわゆる王の野球人生について書かれている。それこそ今でいうストーカーでは? と思えるほどの執着っぷりをみせた荒川だからこそ書けるエピソードが満載で非常に興味深い。例えば有名な話だが、幼少時には左利きだったのにも関わらず右打席に立っていた王。荒川がその理由を聞くと「兄ちゃんたちが右で打ってるから」と、今では考えられない天然っぷりをみせる王に対して、左打ちを勧めた荒川は後に「あの時なぜ右打ちなのかと尋ねなかったらそのまま右で打っていただろう。そうしたらホームランを量産できる打者には間違いなくなれなかった。」と記している。
他にも交友関係が広かった荒川は数多くの著名人と王を引き合わせている。六本木のすし屋で、芥川比呂志、山本直純、杉浦直樹といった人たちと飲んでいると、王と芥川が口論を始めた。話は野球の技術論のようで、現役時代の晩年だったこともあり、思うような成績が残せないでいた王は珍しく興奮したようで、皆の仲裁を聞かずに店を一人で出てしまった。その店には銀座から女の子たちを連れて行っていたが、その子たちから荒川はひどいお師匠さんだ、芥川さんが悪いのになんで王さんをかばってあげないの、と総スカンを食ってしまったそう。翌日の試合前にバツが悪そうにションボリしていた荒川に、王は「昨晩はすみませんでした」と平身低頭で素直に謝ってきたそうで、こういった素直さも偉大な選手になれた要因の一つだと解説している。
それこそお互いの両親以上に一緒にいた時間が長いのでは? と思うほど、良いときも悪いときも同じ時間を共有して過ごした師匠・荒川と弟子・王貞治。蜜月の関係とはこういうことを言うのだろうと納得した。この本が発行されたのは昭和55年の秋で、王が引退を表明した年でもあるが、その帯に書かれている文章が泣かせる。「打てなくても打てなくても尊敬され続ける王選手の魅力とは何だろう。」ああ、もう現役も晩年の頃で衰えも隠せず、巨人も弱かったし、ファンは厳しかったんだろうな…とセンチメンタルな気分になるが、荒川がこの本で伝えたかったことが分かった気がした。野球の成績などはどうでも良い、本書に書かれている数々のエピソードから読み取れる王の「人間哲学」こそ、タイトルにあるように、読者に目指してほしいのだなと思った。