昨年、第100回を迎えた夏の甲子園。大阪桐蔭に金足農など、個性的なチームがたくさん現れたが、指導者を見渡したとき、一番ギラギラと燃えていたのは、やはり龍谷大平安を率いる原田英彦監督だったのではないだろうか。
昨年度、原田監督は常々こう言ってきた。「100回大会で100勝」。龍谷大平安は夏の開幕前の時点で春夏通算99勝。あと1勝で中京大中京に続く、史上2校目の大台が見えていた。
ただ、「100回大会で100勝」というのは、何だかゴロのよい言葉にも聞こえる。それは龍谷大平安から見た主観的な数字だからだろう。しかし、原田監督は大真面目だ。なんたって、原田監督は筋金入りの大の平安ファンだからだ。
1960年生まれ、京都市で育った原田監督は、少年時代から自転車で平安(当時)のグラウンドに通い詰め、白いTシャツにマジックで「HEIAN」と書いて、嬉々として着用していた“ホンモノ”。高校はもちろん憧れの平安でプレーした。
「気合入りまくっていますよ。100勝を落としたら、ファンのおっさんたちに何言われるかわからないですから」
昨夏の甲子園初戦を控えたある日、原田監督に話を聞くとこんな言葉も飛び出した。闘魂の塊である原田監督。平安ファンのおっさんの野次に応戦することもある。しかし、おっさんたちも知っているのだ。負ければ涙を流し、勝っても男泣き。原田監督が一番の平安ファンであることを。低迷する母校を立て直した1993年からの長期にわたる監督歴がその証拠だ。
原田監督のトレードマークといえば、分厚い胸板。そしてパリッと日焼けした男前フェイスだ。厳しさ、ハートの熱さも相まって、コワモテといわれることもあるが、笑顔には屈託がない。年齢的には選手の両親より上の世代だが、「兄貴」と言える若々しさがある。
立ち姿ひとつでカッコよさを表現できる存在。「HEIAN」のユニフォームが最も似合うのも原田監督だろう。
もちろん、練習は厳しい。選手からは次々と「監督に怒られたエピソード」が出てくる。しかし、嫌な感じではなく、「やらかしてしまいました…!」といった風に笑えるエピソードに再構築されている。終始、厳父の姿であればこうはならない。
また、高校野球ファンの間で衝撃的だったのは、昨夏のキャラチェンジだ。試合に勝つと原田監督が「お前たち最高だぜ!」と絶叫。選手たちが拳を突き上げて、「うぉー!」と返す。東京ディズニーシーの人気アトラクション『タートル・トーク』を引用したパフォーマンスが注目を集めた。
原田監督の「厳しいキャラクター」からすれば、あり得ないこと。選手に話を聞くと、誰もが言えそうで言えないことを呟いてくれた。
「監督さん、ディズニーシー行ったことあるんや…」
一部では「時代の流れ」「丸くなった?」などとささやかれた。しかし、そんなことはまったくないと断言したい。
「このメンバー(昨夏の3年)は、引っ張る存在がいなくて、波に乗り切れないところがありました。だったら自分がキャプテンをやってやろう、と。いつもなら放っておいたかもしれませんが、100回大会で100勝するにはこれしかないと直感しました」
そしてこう付け加えた。
「もう下級生には伝えているんです。お前ら、これは100周年限定のオレやからな。監督優しくなったと思って油断するなよ、と(笑)」
事実、センバツでは“いつもの”ギラギラとした原田監督に戻っていた。厳しい先輩役もキャプテン役もこなす原田監督。甲子園通算30勝。引き出しに『タートル・トーク』が潜んでいたようにギラギラと頂点を狙ってくるだろう。
文=落合初春(おちあい・もとはる)