ご存じの通り、昨年のドラフトで清宮は7球団による競合の末、日本ハムが交渉権を獲得し、入団に至っている。競合数で見ると、チームの先輩でもあるダルビッシュ有(ドジャースからFA)、大谷翔平(エンゼルス)よりドラフト前の評価は高かった……。
と声を大にして言いたいところではあるが、ドラフトは年度ごとに指名選手やチーム事情が違うこともあり、ほかの選手と相対的な評価によって競合する球団の数は変わってくる。一概に誰が上とはいえないが、清宮がダルビッシュや大谷と同レベルの期待をかけられているのは間違いない。
高校生における複数球団指名という点では、1995年の福留孝介(当時PL学園高)の7球団と並び最多だった。そのドラフトでは近鉄が交渉権を獲得したものの、福留は入団拒否。その後、日本生命を経て中日に入団し、メジャーリーグも経験した上で、名球会入りも果たしている。
また、次に多い6球団競合となると、1985年ドラフトの清原和博(PL学園高→西武)、2009年ドラフトの菊池雄星(花巻東高→西武)。2人とも結果を残している。清宮も同様に「本当にすごかった」と言われるために、大きな実績を積み上げてほしい。
清宮はドラフト指名後から大きな話題を振りまき、1月から始まった新人合同自主トレに参加した。その自主トレ中に右手母指基節骨骨挫傷と診断され別メニューをなったが、キャンプではチームの新人で唯一の1軍帯同。機体トラブルで出発が2時間遅れたものの、アリゾナへと旅立った。海外キャンプということもあり、これで2月14日までは1軍が確約されたことになる。
日本ハムにおいて高卒野手における1軍スタートは珍しい。これは10年前にあたる2008年の中田翔以来だ。投手ではあるが、ドラフト直後から期待されたダルビッシュ有(ドジャースFA)や大谷翔平(エンゼルス)もなし得なかった高卒1年目の1軍キャンプメンバー入り。清宮の可能性はとてつもなく大きいと栗山英樹監督は判断しているのだろう。
高校時代は外野守備に挑戦したこともあるが、基本的には一塁が定位置だった清宮。しかし、プロでは一塁以外のポジションを守る可能性が浮上した。栗山監督は「1年目も10年目も関係ない。全部、白紙に戻す」と語っており、もちろん清宮も例外ではない。
その裏には三塁、外野といったポジションへのコンバートも含まれている。最終的にコンバートとなるかは、ほかの選手との兼ね合いや、本人の動きなど様々な要素が絡みあう。ただ、前代未聞だった「二刀流」をやってのけた栗山監督だ。リップサービスではないだろう。
超大物ルーキーのコンバート案として思い出されるのが2013年の大谷だ。大谷は高校時代に投手と外野の経験しかなかったものの、春季キャンプで中学以来となる遊撃の守備位置についた。これは将来的な幅を広げるためでもあったが、当時、遊撃を守っていた金子誠、二岡智宏から多くを学ぶ意味も込められていた。清宮も三塁や中堅を守ることで、レアードらから見て、聞いて、得られるモノは多いはずだ。
並の新人であれば、ついていくだけで精一杯になる1年目の春季キャンプ。あえて、そこで異なるポジションを経験させるということは、それだけの将来性を秘めた選手ということだ。
清宮は2月14日以降も1軍に帯同し、開幕1軍切符を手に入れることができるだろうか。今後も一挙手一投足から目が離せない。
文=勝田聡(かつた・さとし)