今年の10月に歴代最高となる1002登板を記録した岩瀬仁紀(元中日)が、今季限りで引退した。1999年のデビューから15年連続で50試合以上登板という前人未到の場数を踏んできた岩瀬は、まさに「平成の鉄腕」と呼ぶにふさわしいタフネスさを誇った。
ただ、昭和の時代には、現代の常識がまったく通用しない鉄腕投手がわんさかいた。登板数ではなく、投球回数の歴代ランキングで見てみよう。
■歴代投球回数ランキング
1位:金田正一(元国鉄ほか):5526回2/3(20年)
2位:米田哲也(元阪急ほか):5130回(22年)
3位:小山正明(元阪神ほか):4899回(21年)
4位:鈴木啓示(元近鉄):4600回1/3(20年)
5位:別所毅彦(元巨人ほか):4350回2/3(19年)
6位:梶本隆夫(元阪急):4208回(20年)
7位:スタルヒン(元巨人ほか):4175回1/3(20年)
8位:東尾修(元西武):4086回(20年)
9位:山田久志(元阪急):3865回(20年)
10位:稲尾和久(元西鉄):3599回(14年)
(※カッコ内の数字は現役年数)
投球回数5526回2/3がナンバーワンだけでなく、400勝298敗と勝利数&敗戦数でも歴代最高記録を持つ金田正一(元国鉄ほか)。他にも、4490奪三振(2位は米田哲也[元近鉄ほか]で3388奪三振)、完投数365回(2位はスタルヒン[元巨人ほか]で350完投)など、多くの部門で記録を持っている。
高校を中退してプロ入りし、2年目から14年連続20勝以上。24歳で200勝を達成するなど、若くして大投手となった。当時は球速を計測していなかったが、「ストレートは160キロ以上」と証言する関係者は多い。
また、ロッテの監督になってからはさまざまなファンサービスを仕掛けたことでも知られ、その明るく豪快なキャラクターは、多くのファンに親しまれている。
岩瀬に抜かれるまで949試合登板で歴代最多記録保持者だった米田哲也(元阪急ほか)。現時点では登板数、投球回数ともに2位。また、通算350勝利も金田に次ぐ2位ではあるが、通算先発数626は歴代1位。先発数も登板試合数も投球回数も多いということは、先発である程度投げながら、別の試合ではリリーフ登板もこなしていたという証。
たとえば、自身最多の348回2/3を投げた1968年は、先発で43試合(22完投)、リリーフで20試合に登板している。
分業制が確立している現代のプロ野球では考えられない投手起用だが、1970年代ぐらいまでは、チームの大黒柱が先発、リリーフとフル回転するケースは珍しくなかったのだ。
「鉄腕」という言葉がニックネームになっていたのは、投球回3599で10位の稲尾和久(元西鉄)だ。ベスト10の投手の中では、現役生活が最も短いため通算成績自体は少なめだが、印象が強烈だったからこそ「鉄腕」の呼び方が定着したのだろう。
そんな稲尾の鉄腕ぶりを象徴するのが1958年の日本シリーズだ。全7戦のうち、5試合に先発し4試合完投している(他に1試合リリーフ登板)。さらに、第5戦にはサヨナラアーチも放つなど大車輪の活躍で、西鉄が3連敗のあと4連勝で巨人を下し日本一に輝いている。
保持する日本最高記録は、1961年に挙げた年間42勝、シーズン30勝以上4回、1962年8月の月間11勝など。いずれもタフでなければ届かない数字ばかりだ。
なお、上記ランキングに出てくる選手のなかでは、東尾修(元西武)と山田久志(元阪急)が1988年まで現役で、他の8人はそれ以前にユニフォームを脱いでいる。つまり、すべて昭和の投手たちだ。平成に入ってから活躍した投手で、もっともランキングが高いのは15位の山本昌(元中日)の3348回2/3、次いで16位の工藤公康(元西武ほか)の3336回2/3。選手寿命が非常に長かった両投手が上位に名を連ねているのは納得できるところ。
ちなみに、上でも触れた歴代最高の1002試合登板を誇る岩瀬の投球回数は985。金田や米田の5分の1以下に過ぎない。投球回数のランキングでは、300位以下である。ただ、連日ブルペンで待機し、出番はほぼ厳しい場面。投球回数が少ないからといって、リリーバーはリリーバーの大変さがある。岩瀬の数字も誇るべきものであることは間違いない。
文=藤山剣(ふじやま・けん)