雑誌『野球太郎』の連載でも御馴染み「伝説のプロ野球選手に会いに行く」の「週刊版」。現在、文庫版“伝プロ”も絶賛発売中!
1月11日に2013年の野球殿堂入りが発表され、競技者表彰で元広島の
外木場義郎さん、大野豊さんが選ばれました。
思えば、昨年の殿堂入りも元広島の北別府学さん、故・
津田恒美さんでしたから、その時代、1970年代後半から80年代にかけて、いかにカープが好投手揃いで強かったか。あらためて、一時代を感じさせる発表でもありました。
僕は以前、上に名前を挙げた4人の投手のうち、外木場さんにインタビューしたことがあります。
1945(昭和20)年生まれで、鹿児島の出水高から社会人の電電九州を経て65年に入団。実働15年で通算131勝を挙げたなか、完全試合1度、ノーヒットノーラン2度という、史上唯一の大記録を樹立された方。いずれは選ばれて当然、と確信していたので本当によかったと思います。
外木場さんへの取材テーマは、記事が掲載される雑誌の特集タイトル、<野球のスイッチ>というものをそのまま生かしました。
おもにスポーツの世界で、よく「スイッチが入った」と表現される心理状態。完全試合、ノーヒットノーランを達成したピッチャーというのは、どこかでスイッチが入るものではないか。3回も経験している外木場さんなら、入った瞬間を自覚できたのではないか。
そんなことを考えながら、2007年4月、広島まで会いに行きました。
お会いして、こちらで取材主旨を説明したあとに、外木場さんからこんな言葉が発せられました。
「私の場合は、結果的に3度そういう記録が達成できたんですけど、試合の終盤、たとえば7回ぐらいまでノーヒットで行った、というのは過去に7度か8度ぐらいはあるんですよ」
ノーヒットノーラン達成のチャンスなら、3度どころではなくもっとたくさんあった、という意味だと思った僕は驚き、さすがは「ミスターパーフェクト」! と思いました。しかしそれに続く言葉は、意外なものでした。
「だけど、記録は狙ってできるものでもない。私は弱い球団でありながら運がよかったんです。やはり、偶然がいろいろ重なって、それが記録として残るわけですから。私はそういう考えを持ってますよ」
1965(昭和40)年のシーズン終盤、10月2日の対阪神戦。先発した外木場さんはプロ初勝利を挙げるのですが、なんとそれがノーヒットノーラン。それだけでもすごいのですが、そのときも「記録は全然意識しなかった。結果がノーヒットだったというだけで」とのこと。当時はマスコミも声高に騒ぐわけでなく、外木場さんとすれば、ノーヒットノーランよりも、まず初勝利を挙げたということ自体がうれしかったのだそうです。
もっとも、騒がなかったマスコミの中には妙な話を向ける記者もいて、「こういう記録を残した人は意外と短命だからねぇ」と言われてしまったそうです。外木場さん、この言葉に対してはかなりカチンと来たようです。
「この人、ナニ言うてんのかな? って思いましたよ。確かに、過去に何人かそういうピッチャーはおられるんです。しかし初勝利に喜んでいて、おまけに記録も達成しているのに、いきなりそんなこと言われたら、嫌でしょ? それで、『なーに、そんなことないですよ。なんなら、もう一回やりましょうか?』と、ポーンと口に出したんです」
今、初めてこの「もう一回」発言を知った方は、外木場さんがその後達成する、完全試合と2度目のノーヒットノーランを予言したように思えるはずです。もちろん、そんなことを考えての発言ではなかったわけですが、僕がこの「もう一回」発言を知ったときに考えたのが、「スイッチ」のことでした。
すなわち、2度目の達成が見えたとき、1度目はこうだった、と考えることで、経験を生かせたのではないか。それは外木場さんだけの「野球のスイッチ」では? と考えたのです。
1968年9月14日、広島市民球場での対大洋(現DeNA)戦。見事に完全試合を達成したときの心理状態を、外木場さんは次のような言葉で表現されました。
「9回の頭ですよ。意識するというレベルではなく、これはもういけそうだな、っていう気持ちになって、狙ってみようと。もう完全に狙いに行きました。力が入りましたよ。だから最後、3人とも三振にとれたと思うんです」
まさに、これこそ「スイッチが入った瞬間」だと思います。喩えるならば、「完全に狙いにいきました」という言葉が、スイッチを押すボタンだったと言えるでしょう。
ただ、1度目の経験が役に立ったか、という話にはつながらず。むしろ、完全試合を達成しても、周りの見る目も、自分自身の心理状態もあまり変わらなかった、という話が印象に残っています。
「まだ野球は続くんですから。気持ちの変化はないですよ。記録というのはたまたま結果がついてきたものだ、っていう考えをいつも持ってましたから。記録をつくったから今度からこういうふうに野球をやっていこうとか、そんなことは考えたことないです」
早口でまくし立てるような調子で、さらに続きました。
「投げる以上は自分で決着をつけたい、勝ち負けは絶対、自分でつける。常にそういう気持ちでマウンドに上がってましたんで。それで結果が出れば記録が残ることもある、ということでしかないですよ」
スイッチは確かに押された。しかしノーヒットノーランを達成した経験があるからといって、その経験が次に生かせるようなものではない――。すでに「スイッチと経験」に関する結論は出ているも同然でしたが、僕はあえて聞きました。72年4月29日、広島市民球場での対巨人戦、3度目のノーヒットノーランが達成されたときについてです。
「3度目の大記録達成になりますが、過去2度の経験が生きた、という部分はあったのでしょうか」
外木場さんは眉間にシワを寄せて、長い間のあとにこう言いました。
「過去に経験したからといって、それを生かしてどうのこうの、というのは、その時は考えていなかったですね。まず勝つことが大事、と思っていましたから」
僕は今でも眉間のシワが忘れられません。そして僕の考えが浅はかだったことに気付かされます。
「3度目といってもですね、たとえば三塁線を抜かれたと思った当たりをサードがダイビングキャッチでアウトにしてくれたり、ツキがあってのことですよ。確かに先ほどお話しした完全試合の終盤のときだけは、『いける!』と思って狙いにいきましたけど、1度目はもちろん、3度目の巨人戦のときは、最後の最後まで『無理だろう』と思ってました。
まったく意外なことに、3度目の大記録達成の時は、経験を生かすどころか、「スイッチが入る」と自覚する瞬間もなかったというのです。
「本当に、そういう記録は狙ってできるものではないんです。狙ってできるものなら苦労はしません」
僕は「苦労」と聞いて、そう言いたくなるのも、3度も記録を達成したことで、記録の不確実性に気づいたからこそでは? と感じました。
最後に、3度の記録はご自身にとってどのようなものなのか、あらためて尋ねたときの外木場さんの返答は、以下のようなものでした。
「周りの人からすれば、『3回もやってすごいんじゃね』となるんでしょうけど、実は、私自身はあんまり、思い入れやこだわりはないんですよ。下手な鉄砲も数打てば当たるよ、ぐらいで。ふふっ」