9月18日、メッセンジャー(阪神)が記者会見を開き、現役引退を発表した。2010年から日本でプレーし、コンスタントに勝ち星を重ね、今季の3勝を含め通算98勝。100勝の大台にあと2勝だった。メッセンジャーのように、あと少しで区切りの記録となる前に引退するケースは少なくない。ここでは投手に絞ってピックアップしてみたい。
200勝に最も迫って引退したのが昭和の技巧派右腕・長谷川良平(広島)だ。1950年から1963年まで広島一筋でプレーし、区切りの勝利まであと3勝の197勝(208敗)で現役を終えている。
身長167センチと小柄な右サイドハンドだが、状況によって腕の高さを変えるなどして打者を幻惑。さらに、曲がり幅が数パターンあるカーブとシュートを操り、1955年には30勝を挙げ最多勝のタイトルを獲得。30歳を迎えた1960年に13勝を記録し、この時点で通算188勝。しかし、リリーフ登板が増えていたこともあって勝ち星は伸びず、そこからの3年は1勝、6勝、2勝で引退。大台には届かなかった。なお、通算自責点も993(歴代29位)で、1000まであと7と迫っていた。
長谷川に次いで200勝に迫ったのは、193勝(171敗)をマークした秋山登(大洋、現DeNA)だ。明治大から大洋に入団し、初年度の1956年にいきなり25勝(25敗)を上げた秋山は、そこから1964年まで、9年連続で50試合以上登板、2ケタ勝利というとんでもない記録を残している。
キャリアハイのシーズン勝利数は1962年の26勝(12敗)。この年は72試合に登板し、そのうち先発が17回。つまり、前も後ろもフル回転でこなしていたということになる。それでいて防御率は1.94。当時はそういった鉄腕が少なくなかったが、令和の現代では考えられないパフォーマンスだ。
また、秋山は通算投球イニング数も2993回(歴代28位)と、あと少しで3000という記録も残している。
400勝だけでなく、4490奪三振や365完投など、投手部門における多くのプロ野球記録を保持している金田正一(元国鉄ほか)。それほどの投手でも、区切りまであと一歩だった記録がある。300まで残り2だった通算298敗だ。あと2敗していれば400勝&300敗というキリのいい通算成績となっていた。
ちなみに、この敗戦数も歴代最多で、2位は米田哲也(元阪急ほか)の285敗。負けは少ないに越したことはないが、これだけ負けられるのも、また大投手の証である。
数字自体は大きいものではないが、村田兆治(元ロッテ)の148暴投も歴代1位。あと2つでキリのいい150に到達していたが、それでも2位の石井一久(115、日米通算では137)以下を大きく引き離しているのは、さすがと言うべきか。
村田の暴投が多かった要因の一つには、彼の代名詞でもあるフォークがある。決め球のフォークが切れすぎるゆえの暴投だけでなく、ノーサインで投げていて捕手が止められなかったケースも少なくなかったとも言われる。ただ、そのフォークを武器に奪った三振は2363個(歴代10位)。マサカリ投法にフォークは欠かせないのだ。
文=藤山剣(ふじやま・けん)