遊撃手を固定できないヤクルトが獲得した関西屈指の攻撃型遊撃手は、個性的な「自分の形」を貫くために、旧知のコーチがいる奈良学園大進学を選んだ。
ドラフト当日は、自宅から徒歩15分の履正社で安田尚憲を取材していた。ロッテの1位指名後、会見、チームメイトによる胴上げ、取材……。それらが一段落となるも、近くにいた岡田龍生監督の表情が冴えない。声をかけると「丈がまだなんです」。奈良学園大の3番・遊撃、今年の侍ジャパン大学代表にも選ばれた履正社OB・宮本丈の結果を案じていたのだ。
5巡目の指名が始まったところで僕は次の予定があり、学校を出た。すると道中、スマホの速報サイトに「ヤクルト6位・宮本丈」の文字が。予想より指名までに時間はかかったが、岡田監督、宮本のホッとした顔が浮んだ。
宮本について初めて書いたのは4年余り前。履正社2年の1月、ある雑誌で、センバツ出場が確実視されていた履正社を紹介するページがあり、宮本をピックアップするために話を聞いたのだ。
実は前年秋、チームは近畿大会ベスト8まで進むも、宮本は絶不調で秋の打率はチームブービーの.250。しかし、冬場に行った紅白戦では快打を連発し、首位打者に。その「変わり身」に興味が沸いたのだ。当時を本人はこう振り返る。
「近畿大会の最後の試合でフォームを変えて、そこからでした。夏の甲子園で春夏連覇をした大阪桐蔭の森友哉(西武)が腰を落として打っているのを見て、これいいかも、と思ってやってみたらはまりました」
近畿大会の準々決勝、敗れた京都翔英戦で2安打。満足できる内容でもあり、「あの試合からほぼ今の形です」。つまり、大胆に腰を落とし、かつ、中学時代に始めたノーステップからわずかに踏み出す「ほぼノーステップ」。さらに「ボールが見やすい」と上体を屈める、かなり独特なスタイルだ。
高校時代には「普通の形」で打つことを勧められたことがあった。社会人の練習に参加した際も「普通に構えればホームランももっと打てるのに」と言われた。しかし宮本は「僕はこれじゃないと打てない」と貫いてきた。
このバッティングスタイルは、この先も指導者たちから「修正」を迫られる機会があるだろう。そもそも、もし宮本が他の大学へ進んでいれば、この形も、宮本の今もどうなっていたかわからない。近年、関西の有望高校生の多くは関東の大学へ進む傾向にあり、宮本もそのランクだった。しかし、選んだのは関西の、それもメジャーとは言えない近畿学生リーグ所属の奈良学園大。奈良産大時代からリーグでは無類の強さを誇るも、全国的にはこれからのチーム。だが、そこを選んだには明確な理由があった。
実は中学時代の宮本を野球教室で指導していた才田慶彦氏が奈良学園大のコーチとなっていたのだ。宮本のバッティングスタイルも、こだわりも理解している才田コーチがいるなら……と周囲の反対を押し切り決断。さらに「ここからでもプロにいけることを証明したい」「結果を残せば必ずプロも見てくれる」と目標を定め、1春からレギュラーで出場。以降、3度の首位打者にMVP、リーグ5人目の通算100安打も記録(最終は107安打)。また、3年春の大学選手権ではサヨナラ満塁(タイブレーク)を含む2発。ミート力、勝負強さを備えた攻撃型遊撃手として、ドラフト戦線に浮上。今年は奈良学園から初の侍ジャパン大学代表にも選出された。
「最後のシーズンは少し腰に違和感があって完全じゃなかったですけど、4年間でやれることはやりました」
ドラフト前日(10月25日)に行われた大学最終ゲームのあと。僕と同じ豊中市民でもある宮本は僕の家から徒歩2分、豊中ローズ球場でそう大学生活を振り返った。
守備については、高校3年時は三塁、奈良学園大では4年間遊撃。宮本慎也氏がヘッドコーチでヤクルトに復帰したタイミングでの「遊撃・宮本」の入団。楽しみなファンも多いだろうが、おそらく遊撃、三塁、さらには二塁までカバーしながら出場機会を探ることになるだろう。とにかく宮本の生き残りのカギは打撃。それをどこまでアピールできるかにかかる。
「この打ち方では、インコースで苦労するとずっと言われてきましたし、プロでもそう思われるでしょうが、でも、僕はこの形でいきたい。だから、打てるコースをしっかりヒットにして早く結果を出さなければ、と思っています」
体脂肪は1ケタ。華奢な雰囲気の一方で、性格的には自己を持った個性派。己を信じ、蓄えてきた技術と形をぜひ1軍で見たい。
(※本稿は2017年11月発売『野球太郎No.025 2017ドラフト総決算&2018大展望号』に掲載された「26選手の野球人生ドキュメント 野球太郎ストーリーズ」から、ライター・谷上史朗氏が執筆した記事をリライト、転載したものです。)