近年で記憶に新しいのは新庄剛志の存在感だろう。メジャーリーグから日本球界に復帰し、日本ハムへ入団した2004年。長野オリンピックスタジアムで行われた第2戦で、新庄は「足」で魅せた。
3回裏、三塁ランナーの新庄は、セ・リーグの捕手・矢野輝弘(阪神)が投手の福原忍(阪神)に山なりのボールを返球した瞬間にスタート。ボールを受けた福原は本塁へ送球するも、ヘッドスライディングした新庄のベースタッチが早くセーフに。オールスター史上初のホームスチールに球場は一気に盛り上がった。
この試合で新庄は二塁打2本に2得点と活躍。MVPを獲得した。ちょうど近鉄とオリックスの合併問題に端を発した球界再編問題で揺れる時期だっただけに、新庄のプレーはパ・リーグの存在をより印象づけるものになった。
さらに新庄はプレー外でも魅せる。4月にヒーローインタビューで現役引退を表明し、最後のオールスター出場となった2006年。神宮球場で行われた第1戦ではオールスター用に作った虹色のバットで打席に立ち、電飾のベルトを身につけるなど、エンターテイナーぶりを発揮した。
阪神時代も含めオールスターMVPを2度受賞した派手な活躍ぶりは、今でもファンの間で語り継がれている。
広島市民球場で行われた1991年のオールスター第3戦。試合は延長戦に突入する白熱した展開に。迎えた延長12回表、打席に立ったパ・リーグの秋山幸二(西武)が自打球を顔面に受けてしまう。秋山はその場に倒れ、担架で運ばれる。パ・リーグのベンチは、野手を全員使い切っていたため、控えには誰も残っていない。
その時、森祇晶監督(西武)が下した決断は「代打・野茂」。投手の野茂英雄(近鉄)は、オリックスのヘルメットをかぶり、打席へ入る。結果は残念ながら、カウント2ボール2ストライクから見逃し三振に終わった。
さらに12回裏、センターを守っていた秋山の代わりに、レフトを守っていた愛甲猛(ロッテ)がセンターへ。レフトには、これまた投手の工藤公康(西武)が守ることになった。2死から打球が左中間に飛んだが、キャッチしたのは愛甲。試合は3対3の引き分けに終わった。
投手が代打に立ち、レフトを守る。オールスターだからこそあり得る出来事だった。
1996年オールスター第2戦、試合はパ・リーグが7対3とリードし9回表を迎えていた。2死となり松井秀喜(巨人)が打席へ入る。
ここでファンサービスを大事にするパ・リーグの仰木彬監督(オリックス)が、アッと驚く投手交代を告げる。何とライトを守るイチローを投手に指名したのだ。高校時代まで投手だったイチローは、投球練習で140キロを超えるストレートを放り、松井との対決に備える。
だがその時、イチローの投球練習を見つめる松井に、セ・リーグの野村克也監督が声をかける。松井はベンチへ戻り、投手の高津臣吾が代打に起用された。高津はショートゴロ。そのままゲームセットとなった。
当時、球界の若きスターとして活躍していた松井とイチロー。「夢の球宴」で2人の対決を狙った仰木監督だったが、「オールスターと言えども真剣勝負」という野村監督はそれを許さなかった。両監督の考え方の違いから、「イチロー対松井」の夢の対決は幻に終わったのだ。
それから19年後の2015年、マーリンズに在籍するイチローは、フィリーズとのシーズン最終戦に8回から登板。今度は公式戦で「投手・イチロー」が実現した。日米含めてのプロ初登板で、イチローは1回1失点という結果を残してマウンドを降りた。
文=武山智史(たけやま・さとし)