1991年10月13日、広島市民球場は大観衆で埋まっていた。ストッパーの大野豊が最後の打者を三振に斬って取ると、球場中に悲鳴にも似た歓声が沸き起こる。5年ぶり6度目のセ・リーグ制覇だ。
あっという間に喜びの輪が出来上がり、山本浩二監督の胴上げ――ここまでは毎年のように見る光景。この年の優勝が伝説と化したのは、「異例のビールかけ」が行われたからだ。
セレモニーがひとしきり終わると、ユニフォーム姿の選手・首脳陣たちが再びグラウンドに現れる。ズボンの後ろポケットには瓶ビール。そう、「異例のビールかけ」とはグラウンド上で行うことだった。
通例だと球場内の施設、ビジターであれば宿舎の特設会場で行うだけに、ファンにとっては「ブラウン管の向こうの出来事」という認識があったはず。それを目の当たりにできるのは、なんと幸運だろう。まさに「喜びを分かち合う」形で、市民と共に歩んできたカープらしいエピソードだ。
この年は「投手王国」の面目躍如となるシーズンだった。以下に投手の主要タイトル一覧を記す。
最優秀防御率:佐々岡真司(2.44)
最多勝:佐々岡真司(17勝)
最多奪三振:川口和久(230個)
最高勝率:北別府学(.733)
最優秀救援:大野豊(32セーブポイント)
見事な投手タイトル独占である。佐々岡は防御率・勝利数でリーグトップに輝いただけでなく、沢村賞とMVPも獲得。とくに中日との激しい優勝争いとなった9月は獅子奮迅の活躍を見せ、5日の阪神戦で完投、8日の巨人戦でリリーフ。そして11日の中日戦では再び完投というフル回転ぶり。2年目ながら、若きエースに君臨した。
その佐々岡に負けじと、ベテラン・北別府は「負けない投球」で最高勝率に、荒れ球サウスポー・川口は最多奪三振のタイトルに輝いた。また、上述のとおり、この年の大野はストッパーに専念。病に倒れた本来のストッパー・津田恒実の分も奮起し、最優秀救援投手となった。
野手陣は長打力不足に陥るも、伝統的な足を使った野球と少ないチャンスを生かす勝負強さで得点をもぎ取った。3年目の野村謙二郎が、最多安打(170本)と盗塁王(31個)のタイトルを獲得している。
だが、ここで目を向けたいのは、のちに主力選手へと成長する若手たちの台頭。江藤智、前田智徳、緒方孝市の3人だ。
江藤は関東高(現・聖徳学園高)から入団した高卒3年目の三塁手。前年に38試合出場で5本塁打と大器の片りんを見せ、この年は2ケタ本塁打をクリア。チームトップの11本のアーチを架け、2年後の本塁打王につながることとなった。
熊本工高時代から「天才」と称された前田は、プロの世界でもその才能を遺憾なく発揮。高卒2年目のこの年、開幕戦先頭打者本塁打の離れ業を見せると、シーズン通算で.308の高打率をマーク。併せて、安定した守備も評価され、外野手としては最年少記録のゴールデングラブ賞に輝いた。