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バティスタ(広島)もびっくり。衝撃の本塁打デビューを飾った黒船・ホーナーにアジアの大砲・呂明賜

初出場の試合で3打数2安打1本塁打でデビューしたヤクルト・ホーナー

 ドミニカ共和国のカープアカデミー出身で、「育成契約→支配下登録」と順調にステップアップしてきたバティスタ(広島)。

 1軍登録された当日、6月3日のロッテ戦で「初打席が代打本塁打」という衝撃のデビューを飾った。続いて、翌日にも代打本塁打を記録。「初打席から2打席連続代打本塁打」は、阪急の村上信一が1984年に記録して以来、2人目という快挙だった。

 また、同じく初出場から大暴れしたのがヤクルトの新外国人選手・グリーンだ。外国人枠の問題やケガもあって、1軍登録は6月4日。その日の西武戦から5番・一塁でスタメン起用されると、最初の2打席こそ凡退したものの、3打席目からはライト前ヒット、センターへの二塁打、ライト前ヒットと3安打3打点を記録。いきなり存在感を発揮した。

 過去には、この両外国人に勝るとも劣らない、華々しい日本球界デビューを飾った外国人選手が過去にも存在した。今回はそのなかから、特に印象的な2人のスラッガーを紹介したい。

これがメジャーリーガーの実力


 ボブ・ホーナー(元ヤクルト)の日本デビューもセンセーショナルだった。来日は1987年のシーズン開幕後。初出場した5月5日の阪神戦(神宮球場)で、いきなり3打数2安打1本塁打とそのパワーを見せつけると、翌日にはなんと3本のソロ本塁打を放つ離れ業を見せた。

 さらに、その2試合後の広島戦でも2本のソロアーチ。球界は、まさに「黒船来襲」とばかり大騒ぎとなった。

 その後も打ち続け、この年は93試合に出場し打率.327、31本塁打、73打点。来日前の9年間、ホーナーはブレーブスで215本塁打を放ったバリバリのメジャーリーガーだったが、その実力は本物だった。

 翌年以降も球団側は残留を希望するも、結局、帰国。日本でプレーしたのは1年限りだったが、いまでも語り継がれる外国人選手のひとりだ。

勝負強さが光ったアジアの大砲


 豪快なスイングで巨人ファンのハートを鷲づかみにしたのが、台湾出身の呂明賜(ろ・めいし)だ。

 1988年にドラフト外で巨人に入団するも、当時は2人だった外国人枠の都合で開幕は2軍スタート。しかし、クロマティのケガをきっかけに、6月14日に1軍に昇格すると、「6番・右翼」で即日スタメン起用される。すると、初打席でいきなり本塁打を放つ。

 そこから、6月30日までの12試合で、48打数16安打、打率.333、7本塁打と打ちまくった。

 6月の出場は半月あまりだったが、あまりに活躍ぶりが鮮やかだったこともあって、月間MVPの特別賞を受賞。オールスターゲームにも外国人枠2人のところを1人増やす特例措置がとられ、監督推薦で出場した。

 6月25日の東京ドームでのヤクルト戦ではサヨナラホームランを含む2本塁打。7月6日の札幌円山球場での中日戦では、当時のクリーンアップ「3番・吉村禎章、4番・原辰徳、5番・呂明賜」で3者連続本塁打を放つなど、フォロースルーの大きな打撃フォームから、次々と本塁打を生み出した。

 1年目は79試合出場で打率255、16本塁打、40打点の好成績。しかし、この勢いは長くは続かなかった。クロマティの復帰、さらにブラウン、デラクルーズ、ブラッドリーら新外国人選手の加入が重なり、「第3の外国人選手」が定位置に。出場機会は激減した。

 2軍では結果を出したものの、1軍の出場試合数は1989年が18試合、1990年が7試合、1991年が9試合とほぼ出番なし。結局、4年で帰国することになってしまった。


文=藤山剣(ふじやま・けん)

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