【この記事の読みどころ】
・中島卓也がスカウトを魅了した理由は正確無比な一塁送球
・私立高校を圧倒する福岡工野球部の練習環境
・真面目に練習を積み重ねればプロに行けることを証明した中島
2013年、春先の下関球場。初対面の岩井隆之スカウト(当時)に、ずっと気になっていた質問をした。
「中島卓也を見いだした点は?」「一塁への送球が正確だったからね」。
中島のアピールポイントは、正確無比だった。回り込み、きれいに捕球動作に入って、正面で捕球。トップスピードのままにスローイングする流れ作業的な守りは、遊撃手だった岩井スカウトに「遊撃手の間」を感じさせた。ファインプレイを普通のプレイにしてしまうので、派手さはない。
ここ十数年の「福岡高校生ナンバーワン遊撃手」の評価は、陽岱鋼でゆるぎない。広い守備範囲に強肩。俊足、強打。荒削りでダイナミックさが売り、派手だった。このフィルターが邪魔をし、中島を目立たない存在にした。その中島が、北海道日本ハムの二番・遊撃手。陽は、一番・中堅手。高校時代の二人を知る私、いや、福岡の高校野球関係者全員の評価は一つ。「陽の方が、断然上だった。わからないものだ」。
宇美スターズ(フレッシュリーグ)出身の中島は、逸見(へんみ)清隆ヘッドコーチが福岡工OBという縁もあり、同校の門を叩いた。中高時代の中島を見てきた逸見(へんみ)ヘッドコーチも「言葉少なげに練習を黙々とこなす普通の選手だった」と述懐する。
西日本で最初の工業高校で、就職率抜群。しかし、何よりも森山博志監督を慕って入学する部員が多い。「日本一明るく・楽しく・「質実剛健・自律・創造」の精神がみなぎって、元気のよい、イキイキとした姿を、野球を通して「Team FUKKO」全員で行う」基本方針通り、強豪私学も元気なベンチワークの全員野球に圧倒される。
一学年約30名と部員は多い、さらに、ラグビー部・サッカー部との共用グラウンドは狭い。故に、下級生の練習メニューは、10キロのロードワークが中心となる。加えて、食トレとして、土日は1キロのご飯をとり、加圧トレーニングを取り入れている。これらの練習で基礎体力はつく。ただ、中島の場合、劇的なビルドアップがあった訳ではなく、印象に残る大ブレークもない。地道な努力により、一歩ずつ階段をのぼって、才能を開花させたのだった。
全員野球の「Team FUKKO」故に、タレントを多く輩出する訳ではない。しかし、中島の学年は違った。3年春に大ブレークした三嶋一輝がいたからだ。140を超えるストレートに、手元でクイっと滑り曲がるスライダーが武器のパワーピッチャー。バックネット裏では、「(例年通りのメニューではあるが)相当走りこんだみたい」とささやかれていた。
もちろん、中島も同様のメニューをこなしていた。二人の共通点は、「負けず嫌い」。相乗効果をうんだのだろう。公式戦では、エラーはほぼ0だが、練習試合でエラーをするものなら、悔しさが先立ち、納得いくまでに延々と練習をしていた。さらに、捕手には強肩・真鍋馨(西部ガス)が座り、春季九州大会を制した。実に60季ぶりの快挙であった。その勢いでNHK旗も制した。
学業も、全科目おしなべて好成績で、学年で5番以内。朝6時の練習開始に備え、朝4時起床。通学電車の中で勉強をしていた。コツコツと練習をこなす真面目な性格が学業でもいかされる。「打率が低くても、(練習をよくするので)使われますよ」と、他球団のスカウトが、森山監督に語ったように、使われ続けて近年の活躍となった。
一塁駆け抜けがプロ級だった足をいかし、盗塁も増えている。全国での活躍もなし、強豪私学でもまれた訳でもなし。目立つプレイスタイルでもない。プロ入りには、「ナイナイづくし」だが、文武両道を貫き、真面目に練習することで、公立校の普通の高校生が今や日本を代表する遊撃手に成長した。
中島の一番すごい点は、コツコツと真面目に練習し、自分のスキルを伸ばせば「誰でもプロになれる」ことを証明したことだ。