2013年センバツ、浦和学院が初の頂点に立った。その立役者となったのが大会中に2年生になったばかりのエース・小島和哉(現早稲田大)。初戦から決勝までの全5試合をわずか3失点に抑える驚異的な防御率をマークした。
小島は身長170センチ中盤のサウスポー。胸元を強気に攻めるストレートとキレのあるスライダーを駆使して、相手打者を抑え込む。
全国にとどろく強豪校である浦和学院の歴史のなかでも抜群の実績を残した小島は、2015年3月に卒業を迎えた。これだけの投手はそうそう出てこないだろうとチーム関係者は別れを惜しんだに違いない。
しかし、その翌年の2016年4月に一人の球児が浦和学院の門を叩いた。栃木からやってきたその球児は、入学早々に見せた投球でいきなり周囲の度肝を抜く。それが佐野涼弥(浦和学院)だった。
佐野の投球はチームを去った偉大なエースに似た雰囲気を醸していた。そして、このような声が聞こえ始めたという。「これは小島以上では……」。
佐野も小島同様に170センチ中盤のサウスポー。キレのあるスライダーが武器としている。
小島が卒業した1年後に入学した佐野は、いきなり春季大会の登録メンバーに抜擢された。エース・榊原翼(現オリックス)に次ぐ柱となる投手が見つからないチーム状況が大きなチャンスとなり、ここから一気に頭角を現した。
春に埼玉県大会優勝を経験。その後は全国各地の強豪校との練習試合などで結果を残し、1年生ながら主力投手として夏を迎えた。その夏の埼玉大会はまさかの4回戦敗退となったが、榊原を凌ぐほどの投球を見せ、将来性の高さを感じさせた。
1年秋の新チームでは当然のようにエースとなり、チーム結成直後の秋の埼玉県大会制覇に大きく貢献。埼玉1位で出場した関東大会初戦では横浜の強力打線に立ち上がりを攻め込まれ、屈辱的な大敗を喫するが、一冬越えた今春に再び埼玉県大会を制覇。早稲田実・清宮幸太郎の出場で盛り上がった関東大会でも優勝を果たした。
今夏の浦和学院は、堅実さが持ち味の上級生とタレント揃いの下級生が融合。投打の層の厚さとバランスがうまく噛み合い、全国的に見ても高いチーム力を備えていた。佐野にとって初めての甲子園出場となる可能性は高いと目されていたのだが……。
しかし、ここで宿敵・花咲徳栄が立ちはだかる。浦和学院は、まるで本番にピークを合わせてきたかのように埼玉大会を圧倒的なスコアで勝ち上がってきた花咲徳栄と決勝で相まみえた。意外にも、夏の決勝では初顔合わせとなる埼玉頂上決戦。この試合、浦和学院は先制を許した直後、佐野を5回途中から3番手で投入した。
佐野がマウンドに上がったのは「1死満塁、2ボール」という難しい局面だった。佐野は最大の武器であるスライダーを中心にこの難局を乗り越えようとした。しかし、そのスライダーを前に花咲徳栄打線は微動だにしない。ストライクゾーンから一気に低めに落ちる決め球に対し、最大限の対策を練っていたのだ。
佐野のスライダーは積極的に振ってくる打者に対して威力を発揮する一方で、ボールになるコースに投げ分けているため、見逃されると不利なカウントでの勝負を余儀なくされる。スライダーに頼れなくなった佐野はストレートを投じてカウントを整えようとするが、満塁の状況での力みからかストライクが入らない。
この回、浦和学院は押し出しと細かい内野陣のミスにより、適時打なしで4失点を喫する悪夢のような時間を過ごした。この攻防が致命的な差となり、花咲徳栄に3年連続となる夏の覇権を許した。
失意の夏が過ぎ、佐野は最上級年へ。時の経過はあっという間で、気づけば手にしたビックタイトルは今春の関東大会優勝のみで、未だ甲子園出場は果たしていない。小島が2年夏までに3度全ての甲子園を経験したのとは対照的である。
そして、今秋も佐野は試練のなかにいる。埼玉県大会準々決勝で昨夏に続きまたも市川越に0対1で敗戦。先発登板した佐野は5回途中を被安打1に抑えたが、その唯一打たれた1安打が決勝点の適時打となった。この敗戦で来春のセンバツ出場は絶望。もがき続ける佐野の苦悩は計り知れない。
甲子園出場の残されたチャンスはたった1度のみ。
今後、佐野には好投手から勝てる投手への変貌に期待したい。小島が好投を見せ、なおかつチームを勝利に導いたように、佐野も自身の投球を勝利に直結させていく必要がある。投手としての能力に疑いはない。あとはどうしたら負けられない試合で競り勝っていけるか。その答えを来年の夏までに見つけてくれることを願う。
文=長嶋英昭(ながしま・ひであき)
東京生まれ、千葉在住。小学校からの友人が、サッカーのU-18日本代表に選出されたことがキッカケで高校時代から学生スポーツにのめり込む。スポーツの現場に足を運びながら、日本各地の観光地を訪れることが最大の生きがい。現在はアマチュアカテゴリーを中心にスポーツ報道の仕事に携わっている。