高校入学から3年間に渡って、強豪がひしめき合う愛知の中心にいた男。それが東邦の藤嶋健人だ。
甲子園には、1年の夏を皮切りに3度出場。一躍、全国に名を知らしめた初出場のときはがむしゃらに投げている姿が目立ったが、3年のセンバツでは変化球を駆使するクレバーな投球も披露するなど、出場するたびに成長した姿を見せた。
とりわけ最後の夏は愛知大会から圧巻で、準決勝まで無失点で勝ち進んだ。決勝の愛工大名電戦でも、十八番のバント先方を駆使する相手の上をいく投球で抑え込み、甲子園への切符をつかんだ。
1年の夏に鮮烈なデビューを飾り、その後も順調に進化を遂げた藤嶋。
その成長は本人の熱意もさることながら、東邦OBの木下達生コーチ(元日本ハムほか)の影響も大きかった。元プロ野球選手から送られる金言によって、ワンレベル上の投手らしさを身につけていったという。
中学時代からボーイズ日本選抜に選ばれるなど、野球エリートとしての道を歩んできた藤嶋だったが、東邦での木下コーチとの出会いが、さらなる高みで通用する全国屈指の右腕となった背景にあったのだ。
藤嶋が中学3年生のころの東邦は、上位打者5人の高校通算本塁打数の合計ちなんだ通称「150発打線」で恐れられ、愛知大会の優勝候補筆頭に挙げられていた。しかし、そんなチームでも甲子園出場はかなわなかった。それを実現したのは、森田泰弘監督が入学前から目をかけていた藤嶋だった。
「チームの流れを変える力を持っている」と言うとおおげさに聞こえるかもしれないが、闘志を前面に出して仲間を鼓舞する藤嶋は、チームを左右するバイタリティーの持ち主でもある。
低迷する中日を再び常勝軍団にするには、そんな星の下に生まれた男の力が必要だ。
(※本稿は『野球太郎No.021』に掲載された「28選手の野球人生ドキュメント 野球太郎ストーリーズ」から、ライター・尾関雄一朗氏が執筆した記事をリライト、転載したものです。『野球太郎No.021』の記事もぜひ、ご覧ください)
文=森田真悟(もりた・しんご)