2014年の野間峻祥(中部学院大→広島)、2015年の?橋純平(県岐阜商高→ソフトバンク)と2年連続でドラフト1位を輩出した岐阜県。そして昨年も、ドラフト1位が生まれた。巨人から指名された吉川尚輝だ。
吉川が所属していた中京学院大は、菊池涼介(広島)の出身大学としても知れられている。そのため「菊池2世」と呼ばれるが、吉川は「菊池さんは雲の上の存在です」と謙遜。
しかし、野球センスの塊のような吉川のプレーを見れば、そのニックネームが与えられるのも当然と思いたくなる。
吉川の野球センスは、プロのスカウトをして「周囲が彼のプレーについていけないシーンがある」と言わしめるほど、大学レベルでは抜きん出ていた。
守備では、打球に対して流れるような動きで処理し、捕ってからの送球までも速い。打撃では、1年の秋季リーグ戦で4割を打ち、2年の春季リーグ戦で首位打者を獲得するなど、上級生に負けない成績を残してきた。脚力を見ると2年春から3期連続で盗塁王を獲得。このように、次から次へとセンスの高さを証明する実績を挙げることができる。
吉川の父親と母親は社会人までプレーを続けたアスリート。野球とバレーボールという競技の違いはあるが、そんな両親を持つだけに、そもそもの身体能力が高かったのかもしれない。しかし、その資質を生かすも殺すも本人次第だ。
吉川は親から与えられたアスリートの資質を開花させ、プロのスカウトをも一目置く存在になっていった。
昨年、大学日本代表に選ばれた吉川は、メインポジションの遊撃手ではなく二塁手としてプレーすることが多かった。「遊撃手と動きが真逆になるので二塁手は難しい」と感想を述べたが、そこでの経験がプロに入って大いに生きると踏む。
というのも吉川のプレーには確かに華があるが、「プロの遊撃手」として考えると粗も見えてくる。また巨人の内野を見てみると、遊撃手は坂本勇人で盤石だが、二塁手は長らく固定できていない。
そんななかで吉川が二塁手に収まれば、吉川は1軍でより高いレベルの技術を実践的に学べ、巨人も二塁手にゴールデンルーキーを置ける。お互いに「Win-Winの関係」を築けるのだ。大学日本代表での経験を生かすべきは今しかない。
こうして見ると、吉川は順調に成長して盟主のドラフト1位を勝ち取ったように思えるが、実は亜細亜大野球部入部辞退という挫折を経験している。入部前の春季キャンプで亜細亜大野球部の厳しい練習に耐えられず、逃げるように地元に帰ったのだ。
周囲の期待を裏切ったことを気にして、一度は野球を諦めかけた。それでも高校の監督や両親の励ましで立ち直り、中京学院大野球部に入部。再び白球を追いかけ、昨年の全日本大学選手権を初出場で制覇。悲願の全国優勝を成し遂げるまでになったのだ。
ちなみに吉川は、両親の影響で巨人ファンになったという。憧れのチームのユニフォームを着られる喜びが、より成長を加速させるだろう。
(※本稿は『野球太郎No.021』に掲載された「28選手の野球人生ドキュメント 野球太郎ストーリーズ」から、ライター・尾関雄一朗氏が執筆した記事をリライト、転載したものです。『野球太郎No.021』の記事もぜひ、ご覧ください)
文=森田真悟(もりた・しんご)