今回の巨人復帰にあたって上原は背番号「11」を背負うことになったが、プロ入り以来一貫して背負っていたのが「19」。
「大学受験に失敗して浪人生活を送った19歳のころの気持ちを忘れないように」という思いを込めて、巨人入団時に「19」を希望したという。
ちなみに浪人時代は、予備校で勉強しながらジムでトレーニングに励み、さらに道路工事のアルバイトもしていたという。まさに苦労人、まさに雑草魂だ。
大阪体育大時代にエンゼルスが獲得に前向きだったこともあり、上原はプロ入り当初からメジャーへの思いが強かった。巨人入団後は、FAまで待てないとポスティングシステムによるメジャー移籍を訴えたが、球団は首を縦に振らず。
業を煮やした上原は、年俸の減額を申し出たり、前倒しの移籍に関する違約金を払うとまで直訴。しかし、その行為は「ワガママ」と一蹴されてしまう。
結局、2009年の海外FA権取得後に旅立った。夢を実現させるためとはいえ、自身の年俸の減額にまで口にする選手は、今後もそうは現れないだろう。
国際試合で無類の強さを発揮するのも上原の特徴。大阪体育大時代から渡米前のNPB最終年にあたる2008年までに、25戦12勝0敗という成績を国際試合で残している。
そのなかには、キューバの連勝記録を151で止めた1997年の第13回IBAFインターコンチネンタルカップ決勝、韓国を破った2006年の第1回WBC準決勝といった大一番での好投も含まれる。
アウェーに乗り込んでも折れない精神力、外国人コンプレックスがなかったことも、上原がメジャーで活躍できた要因だろう。
上原の伝説的エピソードというと、ベンチからの敬遠の指示に悔し涙を流した「ペタジーニ敬遠事件」がすぐに思い浮かぶが、さすがトッププレーヤーというべきか、ほかにも様々なエピソードが飛び出してくる。
年齢的にあと何年現役を続けられるかはわからないが、最後にきっと、とてつもない伝説を残してくれるはず。その瞬間を、見逃さないようにしたい。
文=森田真悟(もりた・しんご)