高校野球の背番号5といえばポジションはサード。ホークスの背番号5も、ホットコーナーを守る選手が背負っている。
天理高時代、2年生ながら4番・サードで甲子園を沸かせた藤本博史は、1981年ドラフト4位で当時の南海に入団。チーム名がダイエーに変わった2年目の1990年から背番号5を背負う。
門田博光に続く和製大砲として期待され、1992年には20本塁打。7年連続2ケタ本塁打をマークした。
1998年のシーズン中にオリックスへ移籍し同年限りで引退。通算成績は打率.235、715安打、105本塁打とやや平凡なものだが、1993年にはリーグトップの得点圏打率.391を記録するなどインパクトのある活躍を見せた。
藤本が引退した1998年、吉本亮はドラフト1位でダイエーに入団。2001年にはウエスタン・リーグで本塁打、打点の二冠に輝くも小久保裕紀の全盛期だったため1軍出場は5年間でわずか14試合に終わった。
そんな吉本のキャリアハイは、小久保が巨人に移籍した2004年。8番・サードで開幕スタメンを果たし、3、4月だけで12試合に先発出場した。だが、なかなか期待に応えらえず1軍定着はならず。この年の出場数は56試合、2005年は6試合と大きく出番を減らし、背番号は50に変更となった。
吉本に代わって2006年から5番をつけたのが、同じサードを守るルーキーの松田宣浩だった。
松田は新人野手としては小久保以来12年ぶりの開幕スタメン。そして3年目の2008年には初の規定打席に到達した。そして、この年のオフ、吉本は戦力外となりトライアウトを経て、ヤクルトに移籍することになる。
藤本は2011年より指導者としてホークスに復活。来季は1軍打撃コーチに昇格する。2011年で現役を引退した吉本は、翌年よりソフトバンクのチーム運営スタッフとなっている。
そして松田は……、説明不要の活躍を見せている。
この四半世紀、ホークスの背番号5を背負った3人は、立場は違えど2017年のV奪回を目指し熱く戦っている。
文=溝手孝司(みぞて・たかし)
札幌在住。広告代理業を営みながら、ライター、イベントなどスポーツ関連の仕事もこなす。生まれも育ちも北海道ながら、ホークスファン歴約40年。